安楽寺 浄土真宗本願寺派 千葉山安楽寺
親鸞聖人御一代 第四回 仏教研修会2010
千葉昭彦
目 次
本 願 寺
徳島真宗青年会
安楽寺Home
安楽寺仏教研修会
14 異端と聖人の教化
13 和讃の撰述
12 教行信証
11 親鸞聖人の生涯
10 親鸞聖人の伝道
09 聖人越後から関東へ
08 聖人越後の生活
07 結婚と非僧非俗
06 親鸞聖人流罪
05 法然上人の選択集
04 吉水修学
03 比叡山修行
02 親鸞聖人の出家
01
まえがき
親鸞聖人の誕生
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◎親鸞聖人御一代 第四回
(妙音 平成22(2010)年夏版 千葉山安楽寺機関誌 掲載)
(安楽寺報 平成22(2010)年夏版 千葉山安楽寺機関誌 掲載)
○吉水修学 京都市東山区
吉水
左は
善心聖人
御絵伝 法然上人の選択集書写・絵像書写の図
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比叡山での二十年にあまる修行では、解決がつかず、六角堂に百日参籠、聖徳太子の示現に従い、吉水に法然上人を尋ねた。
「聖人は六角堂にこもったように、また百日の間、吉水法然上人のもとに、雨が降ろうが、日が照ろうが、どんな大事な用件があってもすておいて、毎日毎日一日も欠かさずに、たずねて教えを聞いた。そして、善人であろうと、悪人であろうと、ただ一筋に念仏をとなえることが、救われる道であると教えられた。その法然上人の言葉をかたく守り、他人が念仏について、かれこれといったときにも、自分は今まで迷いの世界をさまよい、悟りを開くことができず、念仏よりほかに救われることのない身であるから、師法然上人の行くところが、たとえ地獄であっても、自分はおともしていくのである」と妻恵信尼様の手紙に詳しくつづられている。
法然門下に入り綽空と改名した。以後も念仏の教えを正しく受け継ぎ、ついには法然上人から撰択本願念仏集の書写を許され、法然上人絵像の書写も許される。この時期に善信と改名し、浄土門山内での地位を確立した。善心聖人御絵伝
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