安楽寺 浄土真宗本願寺派 千葉山安楽寺
親鸞聖人御一代 第十三回 仏教研修会2012
千葉昭彦
◎親鸞聖人御一代 第十三回  親鸞聖人の生涯 和讃の撰述
  (妙 音   平成24(2012)年報恩講版 千葉山安楽寺機関誌 掲載)
  (安楽寺報  平成24(2012)年報恩講版 千葉山安楽寺機関誌 掲載)

○和讃の撰述
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親鸞聖人の生涯L和讃の撰述

 五十八歳の時源空上人高弟聖覚が著した、「念仏往生」には信心が肝要と説いている。「唯心鈔」を書写、この本の注釈をした「唯心鈔文意」をつくり、又、同様に、驫ーが著した「一念多念分別事」一念・多念のいずれにもとらわれぬ念仏往生であることを明らかにしている。に注釈を加えて、「一念多念文意」を作った。これら書物は、いずれも和文で書かれており、「選択集」「教行信証」が難解な漢文のためにこれを理解できる門弟が少なかったことから、一般の人々にも分かりやすい聖教をとの聖人の配慮によるものであった。

 人々に親しまれ、かつ分かりやすいのは「うた」である。すなわち、和讃によって教えを伝えようと試みた。

 和讃は、平安時代には、良源が作ったと伝えられ、源信和尚の作った「極楽六時讃」も有名である。鎌倉時代に入るとさらに普及し、和讃から発達したのが「今様」(いまよう)である。七五調の句を四行つらねた今様は、おの哀調をおびた節回しと人の心を打つ言葉によって民衆に広く親しまれ、喜びにつけ悲しみにつけ口ずさまれた。

 あそびをせんとや 生まれけん   たはぶれせんとや 生まれけん  あそぶ子どもの  声聞けば    我が身さえこそ  ゆるがるれ(梁塵秘抄)は特に有名である。

 聖人は和讃を「やわらげほめ」といい、わかりやすく知らせるためのものとして、漢文の経釈の意味を日本語の「うた」で平易に表現したもので、字数も、句数もそろえ、言葉をととのえて、うたいやすいように作ってある。

 親鸞聖人も、また折に触れて念仏の喜びをうたいあげていたが、その心情同心者に分かち合い、かつ広く人々にも、うたを通じて浄土の教えを理解してもらおうとして和讃の編集にとりかかったものと想像される。

 宝治二年(1248)七十六歳のとき、「浄土和讃」「高僧和讃」を脱稿、一〇年後には、「正像末和讃」をまとめ 、三帖和讃として語り継がれている。「皇太子聖徳奉讃」「大日本国粟散王聖徳太子奉讃」を撰述した。

 「浄土和讃」一八〇首は、曇鸞大師の讃阿弥陀仏偈をやわらげてうたったわさんをはじめ、浄土三部経を和讃し、阿弥陀仏の徳をほめたたえた内容になっている。「高僧和讃」一一九首には、龍樹十首・天親十首・曇鸞三十四首 道綽七首・善導二十六首源信十首・源空二十首のうたによって、浄土の教えを宣布したインド・中国・日本の高僧をたたえている。

  「正像末和讃」は、正法・像法・末法の三時を通じて阿弥陀仏の本願だけは、人々に、真実の証りを与えるものであることをうたいあげている。

 聖人の和讃には右側に読み仮名を、左にはその意味を書き添えている。さらに、漢字の一つ一つにその発音法を示す符号の圏発が記入されており、実際に念仏者が声高らかに歌われていることが知られる。