安楽寺 浄土真宗本願寺派 千葉山安楽寺
親鸞聖人御一代 第十六回 仏教研修会2013
千葉昭彦
◎親鸞聖人御一代 第十六回  親鸞聖人の生涯 示寂

  (妙音  平成25(2013)年秋版 千葉山安楽寺機関誌 掲載)

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○聖人の遺言状が残されている
 このいまごぜんのはは (今御前の母) の、たのむかたもなく、そろう (所領) をもちて候はばこそ、ゆずりもし候はめ。せん(善=善信=親鸞)しに候ひなば、くにの人々いとほしうせさせたまうべく候。この文を書く常陸の人々をたのみまゐらせて候へば、申しおきてあわれみあわせたまうべく候ふ。この文をごらんあるべく候ふ。このそくしょうぼう(即生坊)も、すぐべきやうもなきものにて候へば、申しおくべきようも候わず。身のかなわず、わびしう候ことは、ただこのこと、おなじことにて候ふ。ときにこのそくしょうぼうにも申しおかず候ふ。常陸の人々ばかりぞ、このものどもをも、御あわれみ、あわれ候ふべからん。いとほしう、人々あわれみおぼしめすべし。この文にて、人々おなじ御こころに候ふべし。
   あなかしこ、あなかしこ。
  十一月十二日 善信(花押) 常陸のひとびとの御中へ

 今御前の母とは、娘覚信尼のこととおもわれる。最後まで世話をしてくれた、覚信尼・息男即生坊のことが気がかりであったようで、常陸の念仏者に事後を託した遺言状であった。
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 聖人は、弘長二年(1262)十一月二十八日午後一時頃九十歳をもって示寂した。「親鸞伝絵」には、聖人弘長二歳壬戌仲冬下旬の候より、いささか不例の気まします。それよりこのかた、口に世事をまじえず、ただ佛恩のふかきことをのぶ。声に余言をあらわさず、もっぱら称名たゆることなし。しこうしておなじき第八日午時頭北面西右脇に臥したまいて、ついに念仏の息たえおわりぬ。時に頽齢九旬にみちたもう

 その臨終には、覚信尼、弟尋有、越後から益方の入道、下野高田の顕智、遠江池田の専信もかけつけ、翌二十九日、鳥辺野の南、延仁寺で火葬した