蓮如上人の生涯とその教え
(仏教研修会 第279回) 1997/07/19
千葉 乗隆
◎改革と伝導−平座で談合−

1、「祖師代々事」(実悟)
巧如上人玄康、永享12年65化、永和2誕生、明徳4ハ18歳也。号勝定閣。此御代ヨリ万法事以下如昔被定也。又勤行等マテモ懇ニ被勤ケルト申伝也。仏前ノ脇ニ大竹ヲ一尺ハカリニ切テ積ヲキテ下壇ニ法事ノ時、又法談ノ時眠ル者ヲナケ打ニシテ眠ヲサマセラレケルナリ。其外如此堅固ノ行儀也ケル事也。
  
2、「空善記」
A、 仰に、身をすてて平座にてみなと同座するは、聖人の仰に四海の信心のひとはみな兄弟と仰られたれば、われもその御ことばのごとくなり。又同座をもしてあらば、不審なる事をもとへかし、信をよくとれかし、とのねがひばかりなり、と仰候き。
B、 仰に、おれは門徒にもたれたりと。ひとへに門徒にやしなはるるなり。聖人の仰には弟子一人ももたずと、ただともに同行なり、と仰候きとなり。
  
3、「本願寺作法之次第」(実悟)
A、 昔は東山に御座候時より御亭は上段御入候、と各物語候。蓮如上人御時上段をさげられ、下段と同物にへら座にさせられ候。其故は仏法を御ひろめ御勧化につきては、上臈ふるまひにては成べからず、下主ちかく万民を御誘引あるべきゆへは、

いかにもいかにも下主ちかく諸人をちかく召て御すすめ有べき、とての御事にて候、と被仰候て、平座に御沙汰候。ありがたき御事と諸人申たるとて候。各宿老衆かたり申され候、実如上人も御物語を承候事にて候。定て今も存知の人候べく候也。

B、 古者、御堂衆は六人候つると申、六人供僧とて、此は平生精進にて候き。妻子もなく、不断、経論・聖教にたづさはり、法文の是非邪正の沙汰ばかりにて候つる由候。

C、 開山聖人の御御厨子の御戸は御本寺の御住持の役にてましましけりと承る。中比、綽如上人の御時よりは、下間丹後の同名一人、御堂衆と成て、鎰取とて、御住持御差指合の時は、御戸ひらく人侍りきと也。其仁も必精進にて、妻子ももたれざりけりとぞ。
  
4、「浄土論注」(曇鸞)
同一に念仏して、別に道なきがゆえに、遠く通ずるに、それ四海の内、みな兄弟とするなり。
  
5、「歎異抄」
A、 一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり。
B、 親鸞は弟子一人ももたずそうろう。そのゆえは、わがはからいにて、ひとに念仏をもうさせそうらはばこそ、弟子にてもそうらわめ、弥陀の御もよおしにあずかりて、念仏もうしそうろうひとを、わが弟子ともうすこと、きわめたる荒涼のことなり。
  
6、「実悟記」
蓮如上人、御法談ありしに、諸人、聴聞心肝に入りて、とうとさ限りなくて侍りけれど、夜ふけるか、または昼も、しばしの事なれど、おのおの沈みかえりて侍りしに、法敬坊、うたえとおおせられしかば、やがてうたい申されけり。

必ず誓願寺の、となうれば仏も我もなかりけり、という所をうたわる。しばしうたわせられ、おのおの眠りをさまさせられて、また御法談ありしなり。ただ人によく法をきかせられて、信心の人いでくるようにとのおおせなり。
  
7、能「誓願寺」
A、 親鸞聖人示寂後13年(1275)時宗の開祖一遍上人は熊野権現の夢告により「南無阿弥陀仏、決定往生60万人」としるした紙を人びとに配布する。これを賦算という。誓願寺(浄土宗西山深草派の本山)で賦算のとき、和泉式部の亡霊と一遍上人の対話が能楽「誓願寺」の内容である。

B、 熊野権現の夢告
    六字名号一遍法 十界依正一遍体
    万行離念一遍証 人中上々妙好華

C、 誓願寺第一場第三段 往生なれや何事も、皆うち捨てて南無阿弥陀仏と、称うれば、仏もわれもなかりけり。南無阿弥陀仏の声ばかり。至誠心、深心、回向発願の鐘の声、耳に染みて、ありがたや、まことに妙なるこの教へ、十声一声、数分かで、悟りをも迷ひをも迎へ給ふぞ。ありがたき。
  
注:
誓願寺
浄土宗西山深草派総本山    京都市中京区新京極桜ノ町453
本堂・表門:新京極通り六角  庫裏・寺務所:裏寺町六角角
初め奈良にあり665年天智天皇の勅願により恵穏の開基と伝える。後に京都に移り、13世紀初め蔵俊の時、法然に帰依して浄土宗となり、ついで西山派円空の入寺以降深草派の中心となった。豊臣秀吉が現地に移建。

和泉式部
  和泉式部日記は長保5年(1003年)頃の作
  墓は誓願寺から新京極通りを少し下がった所(誠心院の境内)にある
  2001年3月和泉式部の墓碑へ新京極通りから直接近付き参拝できることになった 格子も名刺屋の館も取り除かれ一間半ばかりの間口が確保された しかし衣料店は健在であるが一歩墓碑へ近づくと通りの喧騒も忘れそうな静けさを感じる

  なお2001年1月以前の墓碑周辺の状況
  名刺屋さんと衣料店が陳列するTシャツ等の商品との間を覗くと一間ばかり向こうに格子を透して見える
  しかし名刺屋さんはこの頃閉店状態で衣料品店の商品に覆われている

一遍上人(1239〜1289)
 鎌倉中期の僧、時宗の開祖
 時宗は一遍門下の僧尼を唐の善導にならって時衆と称したのに始まる
 一遍上人の碑は京都四条通りから少し新京極通りを上がった所にある「染め殿院」にある

六字の名号
 南無阿弥陀仏