蓮如上人の生涯とその教え
(仏教研修会 第299回) 1997/05/31
千葉 乗隆
◎蓮如上人(1415〜1499)と法敬坊順誓 (1421〜1510)

1、蓮如上人が順誓に授けた法名状
  (柳宗悦所蔵「御文章」、宝徳元年・1449、上人35歳)

代拾貫文是も如本
ソレ年月キワロキコ、ロネヲサシハサミシユヘニヤ、サレトモソノ名ヲハ道念トイフトイヘトモ、イタク道心道念モオコラネトモ、ケニハ火辺ハカハキ水辺ハウルホフトイヘル道理ニヒカレテ、仏法賛嘆ノ中ニマシハルカユヘニヤ、

又曠劫ノ宿縁ノモヨホシニモヨリケルカ、イマ弘誓ノ願船ノ順風ニマカセテ、コノ海辺ニナミヨリテステニモトノワロキ道心道念ヲヒルカヘシテ、ソノ名ヲアラタメテ順誓トナツクルモノナリト云々。
  
2、御筆はじめの御文章
  (寛正2年3月、47歳)

 当流上人の御勘化の信心の一途は、つみの軽重をいはず、また妄念妄執のこころのやまぬなんといふ機のあつかひをさしをきて、ただ在家止住のやからは、一向にもろもろの雑行雑修のわろき執心をすてて、弥陀如来の悲願に帰し、

一心にうたかひなくたのむこころの一念をこるとき、すみやかに弥陀如来光明をはなちて、そのひとを摂取したまふなり。
 これすなはち、仏のかたよりたすけましますこころなり。またこれ信心を如来よりあたへたまふといふもこのこころなり。

 さればこのうへには、たとひ名号をとなふるとも、仏たすけたまへとはおもふべからず。
 ただ弥陀をたのむこころの一念の信心によりて、やすく御たすけあることのかたじけなさのあまり、如来の御たすけありたる御恩を報じたてまつる念仏なりとこころうべきなり。
 これまことの専修専念の行者なり。これまた当流にたつるところの一念発起平生業成とまうすもこのこころなり。あなかしこあなかしこ。
  寛正2年3月日
  
3、最後の御文章
  (明応7年12月15日 84歳)

 南无阿弥陀仏の体は、すなはちこれ願行具足のいわれなりとしるべし。また、機法一体ともこれをまふすなり。夫衆生ありて、南无と帰命すれば、すなはちこれ願のこころなり。

 抑帰命というは、衆生の阿弥陀仏をたのみ後生たすけたまへとまふすこころなり。すでに南无と帰命するところにをいて、やがて願も行も機も法も一体に具足するいはれなるがゆへなればなり。

 これによりて、善導大師は、南无といふはすなはちこれ帰命なり、またこれ発願廻向義なりと釈す。

 されば、南无と帰命するところに、すなはち願も行も具足せしむる道理なり、とこころうべきものなり。

 されば、衆生の阿弥陀仏に後生たすけたまへとまふすこころは、われらもおなじく阿弥陀仏とならんとねがいひまふすこころなりとおもふへきものなり。あなかしこあなかしこ。予が身体によそへてかくのごとくをかしきことをつらねはんべり。

 老が身は六字のすがたになりやせむ
  願行具足の南无阿弥陀仏なり
 右今度寒中、法敬坊・空善両人来臨之間、為其願行具足のいはれ書 記之者也。能々可知之。
  明応7年午戊12月15日
84歳御判
  法敬坊
  空 善両人中へ
  
4、上人ご往生の三日前に法敬坊に御文章をよませらる
  (「栄玄記」)

蓮如上人、明応7年の夏此より御煩にて、明応8年3月25日の御往生にて候。しかれば25日の三日前に法敬坊に御文章よませ申され候て、御聴聞なされ候。

一段御感なされ候て、おれがつくりたるものなれども殊勝なるよなと仰せられ候。おれが聞様に門徒の者が聞くことならば、みな信をえられうるぞと仰られ候。
  
5、「実悟記」
蓮如上人、御法談ありしに、諸人、聴聞心肝に入りて、とうとさ限りなくて侍りけれど、夜ふけるか、または昼も、しばし事なれど、おのおの沈みかえりて侍りしに、法敬坊、うたえとおおせられしかば、やがてうたい申されけり。

必ず誓願寺の、となうれば仏も我もなかりけり、という所をうたわる。しばしうたわせられ、おのおの眠りをさまさせられて、また御法談ありしなり。ただ人によく法をきかせられて、信心の人いでくるようにとのおおせなり。
  
6、能「誓願寺」
A、 親鸞聖人示寂後13年(1275) 時宗の開祖一遍上人は熊野権現の夢告により「南無阿弥陀仏、決定往生60万人」としるした紙を人びとに配布する。これを賦算という。

誓願寺(浄土宗西山深草派の本山)で賦算のとき、和泉式部の亡霊と一遍上人の対話が能楽「誓願寺」の内容である。

B、 誓願寺第一場第三段
往生なれや何事も、皆うち捨てて南無阿弥陀仏と、称うれば、仏もわれもなかりけり。南無阿弥陀仏の声ばかり。至誠心、深心、回向発願の鐘の声、耳に染みて、ありがたや、まことに妙なるこの教へ、十声一声、数分かで、悟りをも迷ひをも迎へ給ふぞ。ありがたき。
  
7、「本願寺作法之次第」
開山上人以来むかしより、遠国より上洛の坊主達をば、仏法を心にかけられ信のある人を座上にをかれ候。と各御物語に候し、其支証には法敬坊にて候由候。主の讃嘆に申され候て常に落涙候つるは、法敬は蓮如上人御下部にて北国御下向の時は御輿をかき申候身にて候が、

被召上、御衣下され着し、座上つかまり候、と讃嘆の度ごとに被申て、落涙候へば、諸人も涙をながしたふとがられ候き。総じて遠国の人ほど上にをかせらるる事と実如も御物語候き。
  
8、「蓮如上人一語記」
A、 蓮如上人順誓に対し仰られ候、法敬と我は兄弟よ、と仰られ候。法敬申され候、これは冥加もなき御事、と申され候。蓮如上人仰られ候、信を得つれば、先に生るるものは兄、あとにうまるゝものは弟よ、法敬とは兄弟よ、と仰られ候と云々。仏恩を一同にうれば、信心一致のうえは、四海皆兄弟なりといへり。

 
B、 順誓申され候、仏法の物語申スに、かげにて申候段は、なにたるわろきことをか申べきと存じ、腋より汗がたり申候。前々住上人きこしめす所にて申候ときは、わろき事をばやがて御なおしあるべき、と存候間、心安存候て、物が申され候由、申され候と云々。

C、 信もなくて人に信をとられよとられよと申は、わが物ももたずして、人に物をとらすべき、といふ心なり、人承引あるべからず、と前住上人順誓申されしとて仰られ候き。

自信教人信と候時は、まづわが信心を決定して人にも教申ば、仏恩になるとのことに候。自信の安心決定して人にも教は、則大悲伝普化の道理なるよし、同仰られ候。

D、 法敬坊蓮如上人へ申され候、あそばされ候御名号やけ申候が、六体の仏になり候、不思議なる御事、と申され候へば、前々住上人その時仰られ候、それは不思議にてもなきなり、仏の仏に御成候は不思議にてもなく候、悪凡夫の弥陀をなのむ一念にて仏になることこそ不思議よ、と仰られ候。

E、 法敬坊に或人不審申され候、これほど仏法に御心をもいれられ候法敬坊の尼公の不信なる、いかゞの義に候由、人申候へば、法敬坊申され候、不審はさることなれども、これほど朝夕御文をよみ候に、驚申さぬ心中が、なにか法敬が申分にて聞入候べき、と申され候と云々。