浄土真宗の歴史に学ぶ
(仏教研修会 第319回) 2000/ 4/23
千葉 乗隆
「親鸞聖人伝絵」の作者覚如上人の生涯 1


  今年は親鸞聖人の伝記絵巻の作者で、かつ本願寺を創立した覚如上人の650回忌に あたるので、覚如上人の生涯を述べる。


  1. 覚如上人の出自


日野家
覚如上人系図

  1. 誕生と修学


  覚如上人は宗祖親鸞の孫・覚恵上人(大谷影堂の第二代留守職)の長男として、宗祖示寂後 八年目の文永7年(1270)12月28日にご誕生。母は周防権之守中原氏の息女で、 上人が3歳のときに示寂された。上人の童名は光仙、諱は宗昭、別号を毫摂と称する。

  13歳の時から三井園城寺ついで奈良興福寺において聖道門を学ばれ、18歳の時・ 弘安10年(1287)に奥州大網の如信上人(宗祖の孫、本願寺第2代)から 浄土真宗の法門を授かった。翌年には常陸(茨城県)河和田の唯円(『歎異抄』の著者) が上洛しので、日ごろいだいていた疑問をただし、法門への理解を強められた。

  21歳の時、父覚恵上人と共に、3年間にわたって、東国の宗祖遺跡を巡拝して 祖徳をしのび、如信上人をはじめ、宗祖の遺弟に会い宗義を語り合われた。東国 から帰洛後は、ひたすら浄土門の修学に専念された。


  1. 報恩講と「親鸞伝絵」


  上人25歳・永仁2年(1294)は宗祖の33回忌に当たる。上人は宗祖ご命日 の法会を報恩講と名づけ、その法会の勤式『報恩講式』を著された。

  その翌年に上人は、宗祖の伝記絵巻『親鸞伝絵』(正しくは『善信聖人絵』または 『本願寺聖人親鸞伝絵』とも称する)を作られた。宗祖のご事情を、詞書とそれを画図した絵とを 交互にかきつらねたこの絵巻によって、遺弟や門徒は聖人のお姿をしのびつつ、 そのご恩徳を奉謝した。

  伝絵は絵巻形式のため、限られた人数しか拝見できなかった。そこで詞書(『御伝鈔』) と画図(「御絵伝」)とを分離し、画図は掛軸に仕立て多人数が同時に拝見できるようにした。 やがて報恩講には、「御絵伝」を掛け、『御伝鈔』を拝読、宗祖のご遺徳をしのび、 法悦にひたった。

  正安3年(1301)上人は『拾遺古徳伝』を著された。この本は法然上人の行状 を記すとともに、宗祖のご事績をもあわせ記し、浄土門流における宗祖の地位を明らかにされた