浄土真宗の歴史に学ぶ
(仏教研修会 第324回) 2000/10/22
千葉 乗隆
「親鸞聖人伝絵」の作者覚如上人の生涯 6
本願寺聖人親鸞伝絵  上
ほんがんじしょうにんしんらんでんね じょう
 
6 第六段
 
 おほよそ源空聖人在生のいにしへ、他力往生の旨をひろめたまひしに、世
 おほよそ げんくうしょうにんざいしょう のいにしへ、たりきおうじょう の むね をひろめたまひしに、よ
 
あまねくこれに挙り、人ことごとくこれに帰しき。紫禁・青宮の政 を重くす
あまねくこれに こぞり、ひと ことごとくこれに き しき。しきん・せいきゅう の まつりごと をおも くす
 
る砌にも、まづ黄金樹林の萼 にこころをかけ、三槐・九棘の道 をただしくす
る みぎり にも、まづ おうごんじゅりん の はなぶさ にこころをかけ、さんかい・きゅきょく のみちを ただしくす
 
る家にも、ただちに四十八願の月をもてあそぶ。しかのみならず戎狄 の輩
る いえ にも、ただちに しじゅうはちがんの つきをもてあそぶ。しかのみならず じゅてきの ともがら、
 
黎民 の類、これを仰ぎ、これを貴びずといふことなし。貴賤、轅 をめぐらし
れいみん の たぐい、これを あおぎ、これを とうと びずといふことなし。きせん、ながえ をめぐらし、
 
門前、市をなす 。常随昵近の緇徒 その数あり、すべて三百八十余人と云々。
もんぜん、いち をなす。 じょうずいじつきん の しとその かず あり、すべてさんびゃくはちじゅうよにん と うんぬん。
 
しかりといへども、親りその をうけ、ねんごろにその誨をまもる族、はな
しかりといへども、まのあた りその け をうけ、ねんごろにその おしえ をまもる やから、はな
 
はだまれなり。わづかに五六輩に だにもたらず。善信聖人(親鸞)、あるとき申
はだまれなり。わづかに ごりくはい にだにもたらず。ぜんしんしょうにん(しんらん)、あるとき もう
 
したまはく、「予、難行道を閣きて易行道にうつり、聖道門を遁れて浄土門に
したまはく、「よ、なんぎょうどう を さしお きて いぎょうどう にうつり、しょうどうもん を のがれて じょうどもん に
 
入りしよりこのかた、芳命をかうぶる にあらずよりは、あに出離解脱の良因を
いりしよりこのかた、   ほうみょう をかうぶるにあらずよりは、   あにしゅつりげだつの りょういん を
 
蓄へんや。よろこびのなかのよろこび、なにごとかこれにしかん。しかるに同
たくわ へんや。よろこびのなかのよろこび、     なにごとかこれにしかん。しかるに どう
 
室の好みを結びて、ともに一師の誨を仰ぐ輩、これおほしていへども、真実に報
しつのよしみをむすびて、ともに いつし の おしえ を あおぐ ともがら、これおほしていへども、しんじつ に ほう
 
土得生の信心を成じたらんこと、自他おなじくしりがたし。かるがゆゑに、か
どとくしょう の しんじん を じょう じたらんこと、じた おなじくしりがたし。かるがゆゑに、か
 
つは当来 の親友たるほどをもしり、かつは浮生 の思出ともしはんべらんがため
つは とうらい の しんぬ たるほどをもしり、かつは ふしょう の おもいで ともしはんべらんがため
 
に、御弟子参集の砌にして、出言つかうまつりて 、面々の意趣をも試みんとお
に、 おんでしさんじゅう の みぎり にして、しゅつごん つかうまつりて、めんめん の いしゅをも こころみ んとお
 
もふ所望あり」と云々。大師聖人(源空)のたまはく、「この条もつともしかる
もふ しょもう あり」と うんぬん。だいししょうにん(げんくう) のたまはく、「この じょう もつともしかる
 
べし、すなはち明日人々来臨のとき仰せられ出すべし」と。しかるに翌日集会
べし、すなはち みょうにちひとびとらいりん のとき おおせられ いだすべし」と。しかるによくじつしゅうえ
 
のところに、上人親鸞のたまはく、「今日は信不退 行不退 の御座を両方
のところに、しょうにんしんらん のたまはく、「こんにちは しんふたい・ぎょうふたいの みざを りょうほう
 
にわかたるべきなり、いづれの座につきたまふべしとも、おのおの示したま
にわかたるべきなり、 いづれの   ざ につきたまふべしとも、       おのおの しめしたま
 
へ」と。そのとき三百余人の門侶みなその意を得ざる気あり。ときに法印大和
へ」と。そのとき さんびゃくよにん の もんりょ みなそのこころ をえざる き あり。ときにほういんだいか
 
尚位聖覚、ならびに釈信空 上人法蓮、「信不退の御座に着くべし」と云々。
しょういせいかく、ならびに しゃくしんくうしょうにんほうれん、「しんふたいのみざ につくべし」とうんぬん。
 
つぎに沙弥法力熊谷直実入道遅参して申していはく、「善信御坊の御執筆な
つぎに しゃみほうりきくまがいなおざねにゅうどうちさん して もう していはく、「ぜんしんのおんぼう の ごしゆひつ な
 
にごとぞや」と。善信上人のたまはく、「信不退・行不退の座をわけらるるな
にごとぞや」と。 ぜんしんしょうにん のたまはく、 「しんふたい・ぎょうふたい の ざをわけらるるな
 
り」と。法力房申していはく、「しからば法力 もるべからず、信不退の座にま
り」と。 ほうりき ぼうもうしていはく、「しからば ほうりき もるべからず、    しんふたい のざ にま
 
ゐるべし」と云々。よつてこれを書き載せたまふ。ここに数百人の門徒群居す
ゐるべし」とうんぬん。よつてこれを  かき のせたまふ。 ここに すうひゃくにん の もんとぐんきょす
 
といへども、さらに一言をのぶる人なし。これおそらくは自力の迷信に拘はり
といへども、 さらに  いちごんをのぶる ひ となし。これおそらくは じりき の めいしん にかか はり
 
て、金剛の真信に昏きがいたすところか。人みな無音のあひだ、執筆上人親
て、こんごうの しんしん に くら きがいたすところか。ひと みなぶいんのあひだ、しゆひつようにんしん
 
鸞自名を載せたまふ。ややしばらくありて大師聖人仰せられてのたまはく、
らん じみょう を の せたまふ。ややしばらくありて だいししょうにん おお せられてのたまはく、
 
「源空も信不退の座につらなりはんべるべし」と。そのとき門葉 、あるいは屈
「げんくう も しんふたい の ざ につらなりはんべるべし」と。そのとき もんよう、 あるいはくつ
 
敬の気をあらはし、あるいは鬱悔 の色をふくめり。
けい の き をあらはし、あるいは うつけ の いろ をふくめり。
 
7 第七段
 
上人親鸞のたまはく、いにしへわが大師聖人源空の御前に、正信房
しょうにんしんらん のたまはく、いにしへわが だいししょうにんげんくう の おんまえ に、しょうしんぼう・
 
勢観房・念仏房 以下のひとびとおほかりしとき、はかりなき諍論 をしはんべる
せいかんぼう・ねんぶつぼういげ のひとびとおほかりしとき、  はかりなき  じょうろん をしはんべる
 
ことありき。そのゆゑは、「聖人の御信心と善信(親鸞)が信心と、いささかも
ことありき。そのゆゑは、「しょうにん の ごしんじん と ぜんしん(しんらん) が しんじんと、 いささかも
 
かはるところあるべからず、ただひとつなり」と申したりしに、このひとびと
かはるところあるべからず、     ただひとつなり」   と もう したりしに、このひとびと
 
とがめていはく、「善信房の、聖人の御信心とわが信心とひとしと申さるるこ
とがめていはく、「ぜんしんぼうの、 しょうにんの ごしんじん とわが しんじん とひとしと もう さるるこ
 
といはれなし、いかでかひとしかるべき」と。善信申していはく、「などかひと
といはれなし、   いかでかひとしかるべき」と。      ぜんしんもう していはく、「などひと
 
しと申さざるべきや。そのゆゑは深智博覧にひとしからんとも申さばこそ、ま
しと もう さざるべきや。そのゆゑは     じんちはくらん にひとしからんとも もう さばそ、ま
 
ことにおほけなくもあらめ 。往生の信心にいたりては、ひとたび他力信心のこ
ことにおほけなくもあらめ。    おうじゅう の しんじん にいたりては、ひとたび  たりきん じんのこ
 
とわりをうけたまはりしよりこのかた、まつたくわたくしなし。しかれば聖人
とわりをうけたまはりしよりこのかた、        まつたくわたくしなし。   しかれば しょうにん
 
の御信心も他力よりたまはらせたまふ、善信が信心も他力なり。かるがゆゑに
の ごしんじん も たりき よりたまはらせたまふ、  ぜんしん が しんじん も たりきなりかるがゆゑに
 
ひとしくしてかはるところなしと申すなり」と申しはんべりしところに、大師
ひとしくしてかはるところなしと      もう すなり」と もう しはんべりしところに、だいし  
 
聖人まさしく仰せられてのたまはく、「信心のかはると申すは、自力の信にと
しょうにん まさしく おお せられてのたまはく、「しんじん のかはると もう すは、 じりき しん にと
 
りてのことなり。すなはち智恵各別なるゆゑに信また各別なり。他力の信心
りてのことなり。 すなはち ちえかくべつ なるゆゑに しん また かくべつ なり。 たりき しんじん
 
は、善悪の凡夫ともに仏のかたよりたまはる信心なれば、源空が信心も善信房
は、ぜんあくのぼんぷ ともに ぶつのかたよりたまはる しんじんなれば、げんくうがしじんもぜんしんぼう
 
の信心もさらにかはるべからず 、ただひとつなり。わがかしこくて信ずるに
の しんじん もさらにかはるべからず、   ただひとつなり。    わがかしこくて  しんずるに
 
 あらず、信心のかはりあうておはしまさんひとびとは、わがまゐらん浄土へは
 あらず、  しんじん のかはりあうておはしまさんひとびとは、       わがまゐらんじ ょうど へは
 
よもまゐりたまはじ 。よくよくこころえらるべ ことなり」と云々。ここに
よもまゐりたまはじ。    よくよくこころえらるべきことなり」   と うんぬん。  ここに  
 
面舌をまき、口を閉ぢてやみにけり。
めんした をまき、くち を と ぢてやみにけり。