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浄土真宗の歴史に学ぶ
(仏教研修会 第341回) 2002/7/28
千葉 乗隆
『歎異抄』が語る親鸞聖人8

  1. 『歎異抄』の第四条


  • 第四条 現代語訳

 仏教には聖道門と浄土門という二つの教えがありますが、慈悲にもまた二つの考え方がありま す。
 聖道門の慈悲とは、すべてのいのちあるものを、あわれみ、いとおしみ、はぐくむことです。し かし実際には、これらのものを思うように救うことは、きわめてむずかしいことです。

 いっぽう浄土門の慈悲とは、阿弥陀さまのお救いを信じて念仏し浄土に生まれ、すみやかに 仏にならせていただき、そのうえで、仏の大いなる慈悲心によって、思いのままに、すべてのいの ちあるものに救いの手をさしのべることをいいます。

 この世において、どんなにかわいいとか、かわいそうだと思っても、思うように助けることはでき ません。したがって、聖道門の慈悲は、不完全で中途半端なものです。ですから浄土門に帰依 して、阿弥陀さまのお救いを信じて念仏をとなえることだけが、ほんとうに徹底した大いなる慈悲 心だといえます。
 このように、聖人は仰せになりました。

  • 第四条 原 文
 慈悲聖道・浄土のかはりめあり

 聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもふがごとくた す けとぐること、きはめてありがたし。浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈 大悲心 をもつて、おもふがごとく、衆生を利益するをいふべきなり。

 今生に、いかに、いとをし、不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲、始終 な し。
 しかれば、念仏まふすのみぞ、すえとをりたる大慈悲心にてさふらうべきと云々。

  • 第四条 要 旨
 わたしたちが苦しみや悩みに直面したとき、癒すてだてを仏教に求めると、そこにほ自力聖道 門と他力浄土門の二つの道がある。自力聖道門の癒し(慈悲)は、すばらしいものではあるが、 わたしたち無力な人間にとっては、とても実現は不可能であること。他力浄土門による解決の道 −−阿弥陀仏の救いを信じて念仏すること−−これ以外には、わたしたちには、てだてのないこ とを明らかにする。