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浄土真宗の歴史に学ぶ
(仏教研修会 第348回) 2003/4/27
千葉 乗隆
『歎異抄』が語る親鸞聖人14


  1. 『歎異抄』の第十条

  • 第十条 現代語訳

 他力の念仏には、自分勝手な意味づけをしてはいけません。なぜなら、念仏は、わたし たちの思慮や分別をこえたもので、言葉でいいあらわしたり、心で思いはかることのでき ない不思議なものだからです。 このように、聖人は仰せになりました。


  • 第十条 原 文
 念仏には無義をもつてとす。不可称・不可説・不可思議のゆへに、とおほせさふらひき。


  • 第十条 要 旨
 「無義をもって義とす」という言葉を、親鸞は著書や手紙にもしばしば引用している。 そして、これは法然の発言であるといっている。この条では、念仏は、われわれ凡夫の 思慮・分別をこえたもので、言葉で表現したり、心で思いはかることのできないもので あることを説いている。