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また慈信房の法文のやう、名目をだにもきかず、しらぬことを、慈信一人に、 夜親鸞がをしへたるなりと、人に慈信房申されて侯ふとて、これにも常陸・下野の人々は、みな親鸞がそらごとを申したるよしを申しあはれて候へば、いまは父子の義はあるべからず侯ふ。 また母の尼にも不思議のそらごとをいひつけられたること、申すかぎりなきこと、あさましう候ふ。みぶの女房の、これへきたりて申すこと、慈信房がたうたる文とてもちてきたれる文、これにおきて候ふめり。慈信房が文とてこれ にあり。その文、つやつやいろはぬことゆゑに、ままははにいひまどはされたるとかかれたること、ことにあさましきことなり。世にありけるを、ままははの尼のいひまどはせりといふこと、あさましきそらごとなり。またこの世にい かにしてありけりともしらぬことを、みぶの女房のもとへも文のあること、こ ころもおよはぬほどのそらごと、こころうきことなりとなげき侯ふ。 まことにかかるそらごとどもをいひて、六波羅の辺、鎌倉なんどに披露せら れたること、こころうきことなり。これらほどのそらごとはこの世のことなれ ば、いかでもあるべし。それだにも、そらごとをいふこと、うたてきなり。い かにいはんや、往生極楽の大事をいひまどはして、常陸・下野の念仏者をまどはし、親にそらごとをいひつけたること、こころうきことなり。 第十八の本願をば、しぼめるはなにたとへて、人ごとにみなすてまゐらせた りときこゆること、まことに誇法のとが、また五逆の罪を好みて人を損じまど はさるること、かなしきことなり。 ことに破僧の罪と申す罪は、五逆のその一つなり。親鸞にそらごとを申しつ けたるは、父を殺すなり、五逆のその一つなり。このことどもつたへきくこ と、あさましさ申すかぎりなければ、いまは親といふことあるべからず、子と おもふことおもひきりたり。三宝・神明に申しきりをはりぬ。かなしきことな り。わが法門に似ずとて、常陸の念仏者みなまどはさんと好まるるときくこ そ、こころうく候へ。親鸞がをしへにて、常陸の念仏申す人々を損ぜよと慈信 房にをしへたると鎌倉まできこえんこと、あさまし、あさまし。 同六月二十七日到来 五月二十九日 (在判) 建長八年六月二十七日これを註す。 慈信房御返事 嘉元三年七月二十七日これを書写しをはんぬ。 |