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浄土真宗の歴史に学ぶ
(仏教研修会 第366回) 2004/12/26
千葉 乗隆
『歎異抄』が語る親鸞聖人29   

  1. 『歎異抄』の後記 この「後記」の最後部に記載されている「外見あるべからず」について第370回で記述します なお この後記は3回に亘り講義を行います

  • 後記 現代語訳

 右の第十一条から第十八条までにあげた、さまざまな異義は、すべて真実の信心と異な つているために生じたことのようです。

 今は亡き親鸞聖人のお話では、法然聖人のご在世のころ、そのお弟子が多数おられまし たが、法然聖人と同じご信心の人は、少ししかおられませんでした。あるとき信心につい て、親鸞聖人と同門のお弟子たちとの間で論争が起こりました。それは、親鸞聖人が、 「この善信の信心も、法然聖人のご信心も、まったく同じである」と仰せになりましたと ころ、勢観房念仏房などの同門の方たちが、意外にも強く反対し、論争になり、「どう して法然聖人のご信心と善信房の信心が同じであるなどといえるのですか」と申します。

 親鸞聖人は、「法然聖人が持っておられる博くすぐれた智慧や学識と同じであるという のであれば、それは全くとんでもない誤りです。しかし、浄土に生まれさせていただく信 心については、法然聖人のご信心もわたくしの信心も、少しも異なることなく、ただ一つ です」とご返答になりました。それでもなお「どうして、そのようなわけがあろうか」と いって、疑いかつ非難されましたので、ついには法然聖人の御前で、どちらの主張が正し いかを決めていただくことになりました。  そこで法然聖人に、事の子細を申しあげますと、聖人は、「この源空(法然)の信心も 阿弥陀さまからたまわった信心です。善信房の信心もまた阿弥陀さまからいただかれた信 心です。だからまったく同じです。わたしとは異なった信心のお方は、この源空が行かせ ていただく浄土へは、きっとおまいりになることはありますまい」と仰せになったという ことです。したがって今でも、もっばら念仏して浄土に往生を願う人の中にも、親鸞聖人 のご信心と異なる信心のお方もおられることでしょう。

 以上のことは、いずれもみな同じことのくりかえしでありますが、ここに書きつけた次 第です。

 露のようなはかない命が、枯れ草のように老い衰えたわたしのこの肉体にとどまってい るうちは、同じ念仏の道を歩まれる方たちの疑問をうかがい、親鸞聖人の仰せになりまし たご趣旨をも申しあげ、お聞かせいたします。しかし、わたしが目を閉じ命を終えた後は、 さぞかし多くの誤った考えが入り乱れることになるのではないかと、嘆かわしく思ってい ます。もし、ここにしるしましたような異義などについて、言い争っておられる人びとに 言いまどわされそうになったときには、今は亡き親鸞聖人が、そのお心にかなってお用い になっていた聖覚法印の『唯信鈔』や隆寛律師の『自力他力事』『後世物語』などのお聖 教がよくよくご覧になるのがよろしいでしょう。  およそお聖教には、真実の教えを説くものと、方便の教えを説くものとがまじっていま す。そのなかで方便の教えをすてて、真実の教えを用いることが、親鸞聖人のおぼしめし に沿うものです。このことをよくよく注意して、お聖教を読み誤ることのないようになさ ってください。

 そこで、大切な証拠となる親鸞聖人のお言葉を、少しばかり抜きだして、信心の正邪を 判定する目安(基準)として、この書に添えさせていただきました。  親鸞聖人がつねづね仰せになっておられたことですが、「阿弥陀さまが、五劫という永 いあいだお考えになって、すべてのいのちあるものを救おうとしてたてられた誓願を、よ くよく考えてみますと、それはひとえに、この親鸞一人を救ってくださるためでした。か えりみますと、わたしはそれほど罪深い身であるにもかかわらず、かならず助けるぞと思 い立たれた、阿弥陀さまのご本願の、なんとありがたいことであろうよ」と、しみじみと お話しになっておられました。

 このことを今あらためてかえりみますと、中国の善導大師の、「自分はいま罪悪をおか して迷いの世界にさまよう凡夫で、果てしない過去の世から今にいたるまでいつも迷いの 世界に身をしずめ生と死を流転しつづけて、そこからぬけだすことのできない身であるこ とを思い知りなさい」(『観無量寿教疏』)という尊いお言葉に少しも違ってはおりません。
 そうすると、親鸞聖人の、「阿弥陀さまの本願は、この罪深いわたし一人を救うためで あった」というお言葉は、もったいないことに、聖人がご自身のこととしてお話になった のは、実はわたしたちが、自分の罪悪がどれはど深いかも知らず、阿弥陀さまのご恩がど れほど高いかも知らないで、迷っているのをご覧になって、そのことを気づかせようとい うご配慮によるものでした。

 ほんとうに、わたしたちは、阿弥陀さまのご恩のありがたさに気づかないで、いつもお たがいに自分勝手な考えで、善いとか悪いとかいうことばかりを言い争っています。

 親鸞聖人は、「わたしには、なにが善であり、なにが悪であるのか、わかりません。な ぜなら、阿弥陀さまがそのお心で善いとお思いになるほどによくよくわかったのであれば、 善いということがわかったということがいえましょう。また、阿弥陀さまが悪いとお思い になるほどによくよくわかったのであれば、悪いということがわかったといえます。しか し、わたしたちのようにさまざまな煩悩をもつ凡夫のすることは、この変転極まりない世 界において、あらゆることが、むなしくいつわりで真実であるといえるものはなにひとつ ありません。そうしたなかにあって、ただ念仏だけが真実なのです」と仰せになりました。

 ほんとうに、わたしも他の人も、お互いにいつわりばかりを申しておりますが、その中 でも、特に心の痛むことが一つあります。それは、念仏することについて、お互いに信心 のありかたを問答したり他人にもそれを説き聞かせるとき、相手の発言をやめさせたり、 また論争に勝つために、まったく親鸞聖人のお言葉ではないことを引用して、聖人の仰せ であるという人がいることです。まことに情けなく嘆かわしく思います。

 以上、わたしが申しました趣旨をよくよくお考えになって、疑問を解いて、正しい教え をよく心得ていただきたいと思います。

 これは、決してわたしのひとり勝手な言葉ではありませんけれども、経典やその註釈書 に示された筋道も知らず、また仏法の奥深い意味を十分に心得ているわけでもございませ んので、きっとおかしなことだと思われるところがあるかも知れませんが、今は亡き親鸞 聖人が仰せになられたご趣旨の百分の一ほど、ほんのその一端だけを思い出して、ここに 書きしるしました。

 幸いにも念仏する身となりながら、ただちに真実の浄土に生まれることができないで、 辺地の浄土にとどまることがあれば、それはまことに悲しいことです。そのようなことが ないように、同じ念仏の行者の中で信心が異なることがなく、正しい信心をいただいてく ださるようにと、涙しつつ筆をとり、これを書きました。『歎異抄』 と名づけます。念仏 者以外の人には見せないでください。

  • 後記 原文
 右条々は、みなもつて、信心のことなるより、ことおこり さふらうか。

 故聖人の御ものがたりに、法然聖人の御とき、御弟子その かずおはしけるなかに、おなじく御信心のひともすくなくお はしけるにこそ、親鸞、御同朋の御なかにして、御相論のこ とさふらひけり。そのゆへは、「善信が信心も、聖人の御信 心も、ひとつなり」とおほせのさふらひければ、勢観房念 仏房なんどまふす御同朋達、もつてのほかにあらそひたまひ て、「いかでか、聖人の御信心に、善信房の信心、ひとつに はあるべきぞ」とさふらひければ、「聖人の御智慧・才覚ひ ろくおはしますに、ならんとまふさばこそ、ひがごとなら め、往生の信心においては、まつたく、ことなることなし、 ただひとつなり」と御返答ありけれども、なを、「いかでか そのあらん」といふ疑難ありければ、ずるところ、聖人 の御まへにて、自他の是非をさだむべきにて、この子細をま ふしあげければ、法然聖人のおほせには、「源空が信心も、 如来よりたまはりたる信心なり、善信房の信心も、如来より たまはらせたまひたる信心なり、されば、ただひとつなり。 別の信心にておはしまさんひとは、源空がまひらんずる浄土 へは、よもまひらせたまひさふらふはじ」とおほせさふらひ しかば、当時の一向専修のひとびとのなかにも、親鸞の御信 心にひとつならぬ御こともさふらうらんとおぼへさふらふ。 いづれも、いづれも、くりごとにてさふらへども、かきつけ さふらうなり。

 露命、わづかに、枯草の身にかかりてさふらうほどにこそ、 あひともなはしめたまふひとびと、御不審をもうけたまはり、 聖人のおほせのさふらひしおもむきをも、まふしきかせまひ らせさふらへども、閉眼ののちは、さこそ、しどけなきこと どもにてさふらはんずらめと、なげき存じさふらひて、かく のごとくの義ども、おほせられあひさふらうひとびとにも、 いひまよはされなんどせらるることのさふらはんときは、故 聖人の御こころにあひかなひて、もちゐさふらう御聖教と もを、よくよく御らんさふらうべし。おほよそ、聖教には、 真実・権仮、ともにあひまじはりさふらうなり。権をすてて 実をとり、をさしおきて真をもちゐるこそ、聖人の御本意 にてさふらへ。かまへてかまへて、聖教をみ、みだらせたま ふまじくさふらう。

 大切の証文ども、少々ぬきいでまひらせさふらうて、目 やすにして、この書にそえまひらせてさふらうなり。

 聖人のつねのおほせには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよ く案ずれば、ひとへに、親鸞一人がためなりけり。されば、 それほどのをもちける身にてありけるを、たすけんとおぼ しめしたちける本願のかたじけなさよ」と御述懐さふらひし ことを、いままた案ずるに、善導の「自身は、これ、現に、 罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねにしづみ、つねに 流転して、出離の縁あることなき身としれ」といふ金言に、 すこしもたがはせおはしまさず。

 されば、かたじけなく、わが御身にひきかけて、われらが 身の罪悪のふかきほどをもしらず、如来の御恩のたかきこと をもしらずしてまよへるを、おもひしらせんがためにてさふ らひけり。
 まことに、如来の御恩といふことをば、さたなくして、わ れもひとも、よし・あしといふことをのみまふしあへり。

 聖人のおほせには、「善悪のふたつ、惣じてもつて存知せ ざるなり。そのゆへは、如来の御こころに、よしとおぼしめ すほどに、しりと(ほ)したらばこそ、よきをしりたるにて もあらめ、如来のあしとおぼしめすほどに、しりとほしたら ばこそ、あしさをしりたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫、 火宅無情の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごと、た わごと、まことあることなきに、ただ、念仏のみぞまことに ておはします」とこそ、おほせはさふらひしか。

 まことに、われも、ひとも、そらごとをのみまふしあひさ ふらふなかに、ひとつ、いたましきことのさふらうなり。そ のゆへは、念仏まふすについて、信心のおもむきをもたがひ に問答し、ひとにもいひきかするとき、ひとのくちをふさぎ、 相論をたたんがために、まつたく、おほせにてなきことをも、 おほせとのみまふすこと、あさましくなげき存じさふらうな り。このむねを、よくよくおもひとき、こころえらるべきこ とにさふらう。

 これ、さらに、わたくしのことばにあらずといへども、経 釈のゆくぢもしらず、法文の浅深をこころえわけたることも さふらはねば、さだめて、おかしきことにてこそさふらはめ ども、古親鸞のおほせごとさふらひしおもむき、百分がかたはしばかりをも、おもひいでまひらせて、かきつけさふ らうなり。

 かなしきかなや、さひはひに念仏しながら、に報土にむ まれずして、辺地にやどをとらんこと、一室の行者のなかに、 信心ことなることなからんために、なくなくふでをそめて、 これをしるす。なづけて、『歎異抄』といふべし。外見ある べからず

  • 後記 要旨
 本書の結論にあたる部分である。念仏のありようを めぐって、すでに法然の時代に意見の対立があり、親鸞の 時代にも、またその没後においても、仏法の理解をめぐっ て念仏者のあいだに議論があって、さまざまの異義が派生 した。

 本書の後半の第十一条から第十八条まで、異義を挙げて、 これを厳しく批判しているが、後記において、まずこうし た異義の発生は、念仏者のなかに、ちがった信心をもつも のがいるからであると指摘する。信心がちがうということ は、その信心が阿弥陀仏からたまわったものでなくて、め いめいが自分勝手につくった自分の信心であるからだとい う。そのことについて、親鸞が法然門下にいたときの、親 鸞の信心と法然の信心が同じかどうかという「信心一異」 の論争を挙げている。

 つぎに、仏法の理解について、念仏者のあいだにくいち がいが生まれ、なにとも判断に迷うようなばあいには、親 鸞がすすめた聖教を手本にして、正邪をきめるべきである といい、その際の聖教の読み方についてもふれている。

 そして、唯円が親鸞から聞いたという二つの大切な法語 をしるしている。

 その一つは、親鸞がいつもいっていたという、「弥陀の 五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに、親鸞一人が ためなり…」という言葉である。いま一つは、「善悪のふ たつ、惣じてもつて存知せざるなり…」という法語であっ た。

 最後に唯円は、同じ念仏者の仲間に信心が異なることが ないように願い、「泣く泣く筆を染めて、これをしるす」 と結んでいる。