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浄土真宗の歴史に学ぶ
(仏教研修会 第370回) 2005/4/24
千葉 乗隆
『歎異抄』が語る親鸞聖人33 「歎異抄」講義は最終回です
  

  1. 『歎異抄』の付録 奥書 前回の第369回に続き「奥書」について記述します


  • 奥書〕 現代語訳

  この『歎異抄』は、浄土真宗にとって、大切な聖教です。仏法に縁のない人には、安易 に見せてはいけません。
                                釈蓮如(花押)

  • 〔奥書〕 原文

右斯聖教者、為当流大事聖教也。於無宿善機、無左右 不可許之者也。
                 釈蓮如(花押)

右この聖教は、当流大事の聖教となすなり。無宿善の機に おいては、左右なく、これを許すべからざるものなり。
                 釈蓮如(花押)
  • 外見あるべからず(後記)


 『歎異抄』の本文は、「外見あるべからず」と、念仏者以外の人には見 せないように、との言葉でしめくくつている。また、蓮如は奥書の中に、 「無宿善の機においては、左右なく、これを許すべからざるものなり」と、 仏法に縁のない人には容易に見せないようにとしるしている。

 これらの言葉を厳しく理解して、本願寺の倉庫にとじこめ非公開の書と し、人には見せなかったとする説がある。

 しかし、浄土真宗の聖教の奥書には、このような文言が多く見られる。 たとえば、覚如著『口伝鈔』を例にあげると、龍谷大学所蔵本の覚如奥書 には、「ふかく箱底に納めて--こん--(門の敷居)を出づることなきのみ」とあ り、大阪真宗寺所蔵本の綽如(1350〜93)奥書には、「当流安心無 双の秘書也、ただし初心始学の族は、更にもつて一見を許すべからず、あなかしこ」としるしている。 新潟浄興寺所蔵本の奥書には、「無信心のは見るべからず、 あるべからざるものなり」とある。

また、大阪浄照坊所蔵本の蓮如奥書に は、「外見かたがた斟酌(遠慮)あるべきなり」とあり、さらに滋賀福田 寺所蔵本の蓮如奥書には、「宿善開発の機は、 披見すべきものなり」とし るしている。

 このほか『教行信証』 『愚禿鈔』 『未燈鈔』 『六要鈔』等の写本の奥書 にも、この種の文言がしるされており、これは聖教を大切に取り扱うこと を求めた言葉であると理解すべきであろう。

したがって『歎異抄』の「外見あるべからず」等の文言は、本書の取り扱いにはよく注意するようにと のことで、決して本願寺の蔵にとじこめて見せないようにせよというので はない。また、実際に、『歎異抄』を室町時代に書写したものが十五冊、 江戸時代書写本もほぼ同じ数が現存しているので、『歎異抄』を禁書とし て封じ込めたということはなかった。