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浄土真宗の歴史に学ぶ
(仏教研修会 第371回) 2005/5/29
千葉 乗隆
浄土真宗の様々な事項を第371回から講義します
  1. 親鸞聖人の宗教 迷ったままで救われる
 親鸞聖人は20年間にわたり天台宗のきびしい自力修行にはげんだ。しかし、 さとりを得ることができず、浄土教の他力念仏で救われた。

 浄土真宗とは、今日では一般に親鸞聖人の教えを伝える教団の名前であると理 解されている。しかし、本来は親鸞聖人が長年にわたる学問と修行の結果、到達 した宗教的境地を示す名称である。

 それはさとりの世界である浄土の阿弥陀仏が説いた、迷うものすべてを浄 土に生まれさせる教えであった。数多い仏教の宗派のなかでも、迷ったまま で浄土に生まれて、さとりをひらくことができるのは、ただこの教えだけで あった。

 このように迷うものを救い、浄土に生まれさせる真実の教えであったとこ ろから浄土真宗と称した。

 仏教の修行者を出家という。彼らは家を出て家族と別れ、山林や寺院にこ もって迷いを断ち、正しい行いをつみかさねて、さとりを得ようとした。

 人間の迷いの根源は三毒といわれる貪欲(よく)瞋恚(いかり)・愚癡(お ろかさ)である。まずこれらの煩悩を断ち切ることが、さとりへの第一歩で あった。

 親鸞聖人は9歳で出家して以来20年間、天台宗の開祖最澄が開いた比叡山で 迷いの世界からさとりの世界に入る修行をけんめいに励んだ。しかし煩悩を なくすることはできなかった。

 そこで浄土宗の開祖法然のもとにいたり、煩悩を断つことができない人間 が救われるという阿弥陀仏の慈悲を説き開かされて、これこそ自分が歩むべ き唯一の道であることに気づかされた。
  1. 在家仏教 出家し修行にはげんだが、さとりを得られなかった

 親鸞聖人は結婚して妻子とともに過ごす在家の生活に、仏法に生かされる  道を見出した。

 在家仏教徒の守るべき基本的な戒に五戒がある。それは、一に不殺 生戒(生きものを殺さないこと)、二に不偸盗戒(盗みをしないこと)、 三に不邪淫戒(男女の性について乱れのないこと)、四に不妄語戒(嘘を つかないこと)、五に不飲酒戒(酒を飲まないこと)である。

 さらに出家した僧には、その行動や発言を慎むとともに、心の中にも よこしまな思いを抱かず、つねに清らかに保つことが要求された。親鸞聖人 は自分の行動をかえりみて、五戒すら守ることのできない、無慚無愧 (あやまちを恥じる心もない)の自分の姿に気づいた。

 親鸞聖人は『教行信証』(信巻)に「まことに知んぬ。悲しきかな愚禿 鸞、愛欲の広海に沈没し、名利太山に迷惑して、定聚の数に入るこ とを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥づべし傷 むべし(私は本当の自分の姿がわかりました。かなしいことに私親鸞は、 妻や子への愛情におぼれ、名誉や利益の追求に日がくらみ、仏さまに救 われて浄土に生まれさせていただき、さとりをひらくことができる身に させていただいたことがうれしくないという、まことにお恥ずかしいあ われな人間です)」と告白している。

 親鸞聖人はまた『正像末和讃』(愚禿悲歎述懐)に、「浄土真宗に帰すれど も、真実のはありがたし、虚仮不実のわが身にて、清浄の心もさらに なし(浄土真宗に帰依したけれども、まことの心はなく、嘘いつわりに みちた私で、清らかな心も少しもない、まことに恥ずかしいことです)」 と心中を述べている。

以下に右ページのテキスト及び写真を掲載しました
  1. さとりへの道
浄土宗 念仏為先 法然
 (仏の名をとなえる ことを重視) 法然の著『選択集』 のはじめに「往生 の業(てだて)は念 仏を先と為す」と ある言葉による。

浄土真宗 信心為本 親鸞
 (信心を本とする) 仏の浄土に生まれ ることが定まるの は、称名の力によ るのではなく、仏 の力を信ずる信心 にあると理解する。
恵心僧都源信の恵心堂(比叡山内)
恵心僧都源信の恵心堂(比叡山内
このあたりで親鸞は修行していたと思 われる。
三毒とは
貪欲瞋恚愚癡

親鸞、法然に会つて教えられる
法然: 阿弥陀仏は煩悩を捨て切れない人こそ 救うのだ。
親鸞: そういうことですか。

得度(『親鸞伝絵』東京都・報恩寺)
得度(『親鸞伝絵』東京都・報恩寺)

  1. 出家しなくても、さとれる教え
 親鸞は「われは賀古の教信沙弥の ごとくなるべし」(『改邪鈔』)とい った。教信(?〜貞観8年〈866〉) は奈良興福寺の学僧であったが、 播磨国賀古(兵庫県加古川)に移り、 草庵に住み妻子とともに畑を耕し、 旅人の荷物を運ぶなどしつつ、念 仏の日々を過ごして生涯を終えた。

沙弥=出家したばかりの僧
 日本では、出家しているが一人前の僧でない者と、髪は剃ったが僧の修行をせず 在家の生活をする者をいう。乱世には生命保身のため髪を剃り沙弥と称する者が 多くいた。

不殺生戒:  生きものを殺さないこと
不偸盗戒:  盗みをしないこと
不邪淫戒:  男女の性について乱れのないこと
不妄語戒:  嘘をつかない
不飲酒戒:  酒を飲まない

 「無漸無愧のこの身にて、まことの こころはなけれども、弥陀の回向の 御名なれば、功徳は十方にみちたま う(恥しらずのこの私には、まこと の心はありませんが、仏さまからい ただいた南無阿弥陀仏の念仏のおか げで、私をはじめあらゆるものが救 われます・・・私は恥ずかしいあわれな人間です)」