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浄土真宗の様々な事項を第371回から講義します
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親鸞聖人の宗教 迷ったままで救われる
親鸞聖人は20年間にわたり天台宗のきびしい自力修行にはげんだ。しかし、
さとりを得ることができず、浄土教の他力念仏で救われた。
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浄土真宗とは、今日では一般に親鸞聖人の教えを伝える教団の名前であると理
解されている。しかし、本来は親鸞聖人が長年にわたる学問と修行の結果、到達
した宗教的境地を示す名称である。
それはさとりの世界である浄土の阿弥陀仏が説いた、迷うものすべてを浄
土に生まれさせる教えであった。数多い仏教の宗派のなかでも、迷ったまま
で浄土に生まれて、さとりをひらくことができるのは、ただこの教えだけで
あった。
このように迷うものを救い、浄土に生まれさせる真実の教えであったとこ
ろから浄土真宗と称した。
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仏教の修行者を出家という。彼らは家を出て家族と別れ、山林や寺院にこ
もって迷いを断ち、正しい行いをつみかさねて、さとりを得ようとした。
人間の迷いの根源は三毒といわれる貪欲(よく)瞋恚(いかり)・愚癡(お
ろかさ)である。まずこれらの煩悩を断ち切ることが、さとりへの第一歩で
あった。
親鸞聖人は9歳で出家して以来20年間、天台宗の開祖最澄が開いた比叡山で
迷いの世界からさとりの世界に入る修行をけんめいに励んだ。しかし煩悩を
なくすることはできなかった。
そこで浄土宗の開祖法然のもとにいたり、煩悩を断つことができない人間
が救われるという阿弥陀仏の慈悲を説き開かされて、これこそ自分が歩むべ
き唯一の道であることに気づかされた。
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在家仏教 出家し修行にはげんだが、さとりを得られなかった
親鸞聖人は結婚して妻子とともに過ごす在家の生活に、仏法に生かされる
道を見出した。
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在家仏教徒の守るべき基本的な戒に五戒がある。それは、一に不殺
生戒(生きものを殺さないこと)、二に不偸盗戒(盗みをしないこと)、
三に不邪淫戒(男女の性について乱れのないこと)、四に不妄語戒(嘘を
つかないこと)、五に不飲酒戒(酒を飲まないこと)である。
さらに出家した僧には、その行動や発言を慎むとともに、心の中にも
よこしまな思いを抱かず、つねに清らかに保つことが要求された。親鸞聖人
は自分の行動をかえりみて、五戒すら守ることのできない、無慚無愧
(あやまちを恥じる心もない)の自分の姿に気づいた。
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親鸞聖人は『教行信証』(信巻)に「まことに知んぬ。悲しきかな愚禿
鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入るこ
とを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥づべし傷
むべし(私は本当の自分の姿がわかりました。かなしいことに私親鸞は、
妻や子への愛情におぼれ、名誉や利益の追求に日がくらみ、仏さまに救
われて浄土に生まれさせていただき、さとりをひらくことができる身に
させていただいたことがうれしくないという、まことにお恥ずかしいあ
われな人間です)」と告白している。
親鸞聖人はまた『正像末和讃』(愚禿悲歎述懐)に、「浄土真宗に帰すれど
も、真実の心はありがたし、虚仮不実のわが身にて、清浄の心もさらに
なし(浄土真宗に帰依したけれども、まことの心はなく、嘘いつわりに
みちた私で、清らかな心も少しもない、まことに恥ずかしいことです)」
と心中を述べている。
以下に右ページのテキスト及び写真を掲載しました
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さとりへの道
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浄土宗 念仏為先 法然
(仏の名をとなえる
ことを重視)
法然の著『選択集』
のはじめに「往生
の業(てだて)は念
仏を先と為す」と
ある言葉による。
浄土真宗 信心為本 親鸞
(信心を本とする)
仏の浄土に生まれ
ることが定まるの
は、称名の力によ
るのではなく、仏
の力を信ずる信心
にあると理解する。
恵心僧都源信の恵心堂( 比叡山内)
このあたりで親鸞は修行していたと思
われる。
三毒とは
貪欲→瞋恚→愚癡
親鸞、法然に会つて教えられる
法然: 阿弥陀仏は煩悩を捨て切れない人こそ
救うのだ。
親鸞: そういうことですか。
得度(『親鸞伝絵』東京都・報恩寺)
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出家しなくても、さとれる教え
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親鸞は「われは賀古の教信沙弥の
ごとくなるべし」(『改邪鈔』)とい
った。教信(?〜貞観8年〈866〉)
は奈良興福寺の学僧であったが、
播磨国賀古(兵庫県加古川)に移り、
草庵に住み妻子とともに畑を耕し、
旅人の荷物を運ぶなどしつつ、念
仏の日々を過ごして生涯を終えた。
※沙弥=出家したばかりの僧
日本では、出家しているが一人前の僧でない者と、髪は剃ったが僧の修行をせず
在家の生活をする者をいう。乱世には生命保身のため髪を剃り沙弥と称する者が
多くいた。
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不殺生戒:
生きものを殺さないこと
不偸盗戒:
盗みをしないこと
不邪淫戒:
男女の性について乱れのないこと
不妄語戒:
嘘をつかない
不飲酒戒:
酒を飲まない
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「無漸無愧のこの身にて、まことの
こころはなけれども、弥陀の回向の
御名なれば、功徳は十方にみちたま
う(恥しらずのこの私には、まこと
の心はありませんが、仏さまからい
ただいた南無阿弥陀仏の念仏のおか
げで、私をはじめあらゆるものが救
われます・・・私は恥ずかしいあわれな人間です)」
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