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浄土真宗の歴史に学ぶ
(仏教研修会 第380回) 2006/3/26
千葉 乗隆

  1. 念仏停止承元の法難ー 政治権力者の私的制裁
 法然教団は他の教団から、自力聖道の教えを否定し、悪人正機を説き悪行を認める との非難をうけたが、このたびの弾圧は後鳥羽上皇(1180〜1239)の個人的ないかりであった。

 後鳥羽上皇が紀伊の熊野神社に参詣の留守中、上皇の側近の女性2人が 法然上人門弟の安楽・住蓮などが催した法会に参詣し、発心して尼になった。

激怒した上皇は建永2年(1207、10月に承元と年号を改める)2月、専修念仏 を停止するとともに、法然上人・親鸞聖人など8人を流罪、安楽など4人を死罪に処 した。親鸞聖人は、この事件について『教行信証』に「聖道門の教えではさと りを得られなくなり、念仏によって救われる教えが盛んになった。聖道 門の僧はその現実を認識せず、何が真実かわかっていない。政治指導者 も正邪を区別する能力がない。こうした状態のなかで、興福寺の僧たち は承元元年2月に後鳥羽上皇と土御門天皇に専修念仏の禁止を訴えた。上 皇・天皇をはじめ臣下のものは、道理にそむき正義に違い、個人的ない かりで人を処罰した」としるしている。

 法然上人の配流地は四国、親鸞聖人は越後(新潟県)に流された。数多い法然上人の 門弟中で、なぜ親鸞聖人が流罪になったのであろうか。

 法然上人門下で親鸞聖人が専修念仏に徹し、重要な地位を占めていたこと、か つ親鸞聖人は結婚を公表したので、それが女犯の罪とみなされたと考えられ る。聖道門の僧にとって肉食妻帯破戒行為で、処罰の対象となった。 しかし、念仏者にはそれは浄土往生のさまたげにならないとされていた。  法然上人門下で一念義を主張する人たちの中に、破戒・不道徳の行為をする 者がおり、今回の処罰の対象となった。親鸞聖人はそうした一念義の信奉者 ではなかったが、結婚による在家主義の表明が、一念義であると見なさ れたのかもしれない。
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以下にテキストの右ページ部分を記載します
  1. 承元の法難
一念義とは
 いかに罪が深い者でも、ただ一 声の念仏によって救われる
 ↓ 
 造悪無碍(悪いことをしても浄 土往生のさまたげにならない)
 ↓
  わざと悪事をはたらく…この様な行為は異端である…
 即ち毒を消す良薬があるからと いって、わざと毒薬を飲む ような行為はしないものだ。 同様に、故意に悪事を働い てはいけない。