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浄土真宗の歴史に学ぶ
(仏教研修会 第383回) 2006/6/18
  1. 親鸞聖人の門弟 弟子は一人ももたず、みな仏の弟子
 20年余り常陸を拠点に北関東から奥州にかけて伝道につとめた。これ によって多くの門弟や門徒が親鸞の教えに帰依した

 これは親鸞の門弟の名前をしるした名簿である。その中に常陸(茨城県) 20・下総(千葉県)5・下野(栃木県)5・武蔵(東京都)1・陸奥(福島・宮 城・岩手県)7・越後(新潟県)5・遠江(静岡県)5・京都8の、合計48人が親 鸞聖人から直接に教えをうけた者として記載されている。

 この名簿以外に、親鸞の手紙などに30人ほどの名がしるされているので、 それを合わせると100人近い門弟がいたと思われる。しかも、これら門弟は、 親鸞聖人から直接教えをうけた直弟子といわれる人たちで、この人たちにはまた、 それぞれに数十人の門徒(信者)がいたので、それらを合算するとかなり多 人数になると思われる。

 親鸞聖人の教えに帰依した念仏者は、有力な直弟子を中心に団結した。そして 直弟子の居住する地名を集団の名称とした。

 下野国高田の真仏・顕智を中心とする集団は高田門徒と称した。また下総横曽根性信を中心とする集団は横曽根門徒と呼ばれた。このほか常陸 の布川門徒(教念が指導者)や鹿島門徒(順信)・蕗田門徒(善性)、武蔵の 荒木門徒(光信)、下総の佐島門徒(常念)、陸奥の浅香門徒(覚円)や伊達門、 徒(性意)などが有力な門徒団であった。

 親鸞聖人は念仏者はみな同朋(同じ仲間)であり、師弟上下の関係によって結 ばれる教団を形成することは望まなかっどうほうた。

 しかし、念仏者の中に教義を誤解したり、反社会的な行動をする者が出る と、正しい教えを保つために教団の形成を認めたのであった。
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以下にテキストの右ページ部分を記載します
  1. 旧仏教の反対運動
 東国で念仏者が増加すること は、既存の宗教の縄張りを侵犯 することになる。これに腹を立 てた山伏弁円は、親鸞聖人を殺害し ようと、親鸞聖人の住む家までおし かけてきた。さりげなく出てき た親鷲聖人の姿をみて殺意をなくし て弟子となり、明法と名乗っ た。明法は念仏をよろこぶ身と なり、親鸞聖人をたすけて常陸で念 仏をひろめた。彼は親鸞聖人より 11年はやく建長3年(1251) に死んだ。京都でその報せを聞 いた親鸞は手紙を書き、「この たび明法房がお浄土に行かれた ことはめでたいことです。明法 房はむかしお念仏を批判してい ましたが、その心をひるがえし、 阿弥陀さまの教えに帰依したた めお浄土に生まれることができ たのでした」としるしている。


 名 称 地 域
 直弟子
 名 称
地 域
直弟子
高田門徒
横曽根門徒
布川門徒
鹿島門徒
蕗田門徒
下 野
下 総
常 陸
常 陸
常 陸
真仏・顕智
 性 信
 教 念
 順 信
 善 性
荒木門徒
佐島門徒
浅香門徒
伊達門徒
大網門徒
武 蔵
下 総
陸 奥
陸 奥
陸 奥
光 信
常 念
覚 円
性 意
如 信