安楽寺 浄土真宗本願寺派 千葉山安楽寺
妙音
千葉山安楽寺機関誌 安楽寺報 平成23(2011)年 脇町春版
- ◎春の法要のご案内(彼岸会)
-
平成二十三(2011)年 春の法要 彼岸会 永代経法要 のご案内
|
平成二十三(2011)年三月二十日(日)
彼岸会・永代経法要
読み上げ 十二時
法要・法話 一時
場所 脇町安楽寺本堂 脇町大工町
昼食の用意をしています お早めにお越しください どなたでもお参りできます
ご親戚、ご近所の方々もお誘い合わせの上御参拝下さい ご多忙中とは思いますがよろしくお願いします
なお 例年は 午前・午後に分けていましたが 纏めて一回に致します ご注意下さい
脇町安楽寺執事所
|
- ◎お彼岸とは
-
お彼岸とは、佛教でいう到彼岸を言い習わした言葉です。
彼岸とは、彼の岸ーお浄土ー仏様の世界のことです。
対して此岸とはー娑婆ー苦悩に満ちた私達の現実の世界です。この現実の迷いの世界から、理想の悟りの世界に至ることを到彼岸パーラミッタと言います。
奈良時代に、仏法に逢い(聴聞)、自己を振り返り、心新たに一歩を踏み出す日にしてほしいと制定された、日本独自の法要です。
念仏のご縁に結ばれた命は、阿弥陀様のお浄土に、仏様となって生まれ、今はお浄土の仏となられた方々が、阿弥陀様と共に常に見護って下さいます。ご法要に参って、御法話に耳を傾け、自分自身を反省し、仏様のご恩を感謝し、お徳を讃えましょう。
水あげ・施餓鬼を必要としないのが、お念仏の教えです。大切なことは、阿弥陀様の願いを聞かせていただくことです。彼岸会を別名「讃佛会」と申します。
- ◎永代教とは
-
お念仏と共に歩む人生は、お浄土に生まれ(往生)必ず仏とならさせて頂く人生を、今生かされているのです。
今日一日を、「有り難いと」報恩感謝の日暮らしに、気づかされる智慧が恵まれます。
お浄土の門は、廣く開かれています=廣開淨土門(帰三宝偈)今こそがこの門をくぐらさせていただくときです。
この喜びの世界が「聴聞」によって開かれるのです。 故人を偲び お念仏の教え(経)を、永代に亘って伝えたいの想いで勤められるのが、永代経法要です。教えを伝えるために、施設が必要になります。法要も経費を伴います
懇志を持ち寄って門徒の力で営むのが慣わしです。
浄土真宗では、旧来、家族が亡くなられた時をご縁に、お育てに預かった阿弥陀様への御礼の懇志として、永代経懇志を進納する習慣があります。懇志は寺院の維持荘厳に用います。お念仏相続の喜びを永代経懇志として運びます。法要を営み、一人でも多くの人に、ご縁を結んでいただくお手伝いです。続いてのご協力をお願いします。
- ◎親鸞聖人七百五十回大遠忌法要 本山団体参拝日程
-
親鸞聖人七百五十回大遠忌法要 団体参拝日程 |
平成23(2011)年6月16日(水)〜17日(木) 一泊二日 |
法要参拝 6月16日 午後2時始 |
宿泊 京都東急ホテル 一室二人 |
費用 37,000円 本山法要懇志を含む |
観光バスにて 京都 奈良方面 |
募集参加人員を増員しました 空席が出ています 都合の良い方は早めにお申し出てください |
修復なった 御影堂で厳修されます
乘隆がこの法要だけは参らせて頂きたいと切望しておりましたが叶わぬ事となりました。残された私達は、是非お参りしたいものです。参加ご希望の方は健康管理にご留意いただき楽しみにしてお待ち下さい。
|
-
|
親鸞聖人七百五十回大遠忌法要 団体参拝は 修復なった この御影堂で執り行います
|
|
メインテーマは「安穏」です
「世の中安穏なれ 仏法広まれ」は親鸞様の願いでした 先代乘隆が心待ちにした法要でした
|
- ◎安楽寺親鸞聖人750回大遠忌法要勤修と 継職法要
-
平成24年に予定しています
安楽寺親鸞聖人750回大遠忌法要勤修 と 継職法要を執り行う予定です
場所は 安楽寺本堂 日時は未定です
50年に一度の大遠忌みんなで参加しましょう
記念事業として
境内地整備
土塀修理
手水舎新築
内陣荘厳
庭園整備を検討しています
- ◎お寺の日 毎月二十日です お寺にお参りしましょう
-
毎月二十日は脇町安楽寺のお寺の日です。聴聞は浄土真宗門徒の心得です
ご法話に耳を傾け、真の教えに、我が心を振り返り、「ありがとう」と御恩報謝に、今日一日を精一杯。ご一緒いたしましょう。全国各地から本願寺布教使がご法話に来られます
脇町安楽寺婦人会の皆様による昼食のお接待があります。
昼食は12時からです
ご法話は午後1時からです
- ◎親鸞聖人御一代記 第七回 結婚 非僧非俗
写真は六角堂救世観世音菩薩夢告の図
-
○結婚
聖人三十一歳の時、六角堂の救世観音菩薩から「仏道を求める者が、何かの宿縁によって女性と結ばれることがあるならば、わたくしがその女性に成り代わりましょう。そして一生の間、その行者によくつかえ、死にのぞんだとき極楽へ導いていきましょう」と夢告くを受けて聖人は結婚された。
聖人には、七人の子女がいたが、恵信尼様の手紙と實悟(蓮如十男)が作った「日野一流系図」とから推測するに、第一子・第二子の誕生は流罪以前に遡ることになる。法然門下で唯一妻帯したのは親鸞聖人ただ一人。これが破戒僧として流罪になった大きな原因と思われる。日野一流系図には、第一子範意の母は、九条兼実の娘玉日とあり、法然上人は、玉日を見て、「子細なき坊守なり」とほめたたえたという。ただし、九条家の系図には、玉日の名は見あたらない。
系図によると、範意の母と別れた後、第二子小黒女房など六子の母である、恵信尼さまと結婚したことになる。恵信尼様は、兵部太輔三好為教女とあるが、この頃越後介に三好為則という人がおり、同一人物と思われる。越後介は、越後守の次官で、中流貴族が任命されるが、為教(則)は、恵信尼様が生まれる四年前に越後介を解任されたという。すれば、恵信尼様は、京都生まれの京都育ちということになる。手紙の文章や筆跡、又、日記を付けておられていたことからなどして、当時の女性としては高い教養を身につけておられたことが知られ、京都で教育を受けた事を物語るものといえよう。
最近の研究からして、古代の法律「獄令」第十一条に「流人として処罰を受けた者は、妻を同伴して配所に赴け」という規定があり、聖人も同伴されたとするならば、結婚は京都時代とする見方が有力になる。
○非僧非俗
流罪の宣告を受けた親鸞聖人は、「僧にあらず俗にあらず(非僧非俗)この故に禿の字をもって姓とす」(教行信証あとがき)と述べている。僧としても落第であり、俗人としても一人前でないと、深い自省に立脚しての言葉であった。さらにのちに、禿の姓の上に愚の字をつけて、愚禿親鸞と称する。
最澄が比叡山に入山した願文に「愚中極愚、狂中極狂、塵禿有情、低下最澄」としるし、僧侶も俗人も授戒できる大乗円頓戒を設立した。法然は「浄土宗の人は愚者になりて往生す」といい、親鸞が愚禿を姓としたことは、自分のような破戒の愚かな者こそが、弥陀の救いの対象であることを示したものでした
|
|