安楽寺 浄土真宗本願寺派 千葉山安楽寺
妙音 千葉山安楽寺機関誌 平成23(2011)年 安楽寺報2011夏版
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◎虫干会 美馬安楽寺で開催します
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 安楽寺に於ける虫干会です 脇町安楽寺との合同法要です

 平成二十三(2011)年七月二十八日(木) 
虫干会 平成二十三(2011)年七月二十八日(木)
時  午前十時 始
所  美馬安楽寺本堂で開催します
 毎年旧暦六月二十八日に、安楽寺・西教寺・林照寺三ヶ寺で、各寺院の宝物、主に軸物の、虫干しをする、習わしとなっています。

 今年は七月二十八日(木)がこれに当たっていますので慣例に従い虫干会を営みます。ちなみに西教寺・林照寺は中断しています。暑い時期ですので、朝十時からお勤めいたします。

 役員さんへお願い
 夏のお初穂お手伝い帳を同封しています。秋の彼岸会のお手伝いと一緒にお届けいただいて結構です。妙音2011夏号をお届けください。お手数をお掛けしますが宜しくお願いします。

◎2011夏休み仏の子供研修会
  徳島西組キッズサンガ 参加者募集 平成23(2011)年08月22日(月)

  脇町安楽寺門徒の方々もご参加して下さい

本山西本願寺では「お寺に子供を!」をキャッチフレーズに運動を展開しています
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「お寺に子供を!」
昨年2010夏休み仏の子供研修会
  徳島西組キッズサンガの写真です

  脇町安楽寺門徒の方々もご参加して下さい
安楽寺仏の子供夏期研修
 徳島西組キッズサンガ   参加者募集
 お寺に子供をキャッチフレーズに本山西本願寺が運動を展開しています
 龍谷大学のお兄さんが指導に来てくれます
日時 平成23(2011)年08月22日(月)
 12時半受付 午後1時始
場所 安楽寺本堂(美馬町)
参加費 無料
申し込み 平成23(2011)年08月16日(火)までに
 美馬安楽寺へ  電話0883-63-2015
持ってくるもの  今までに参加した人は、念珠・せいてん・忘れないように
 持っていない人は、当日お渡します
 汗をかきますので、タオル・着替えを用意してください

◎本願寺親鸞聖人大遠忌法要参拝    平成23(2011)年06月16日から17日
○本山西本願寺 法要楽太鼓 東西に一対 16日(木)
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 法要楽太鼓 東西にあり 対をなしています

  平成23(2011)年06月16日
○西本願寺 御影と9具足 16日(木)
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 親鸞聖人 御影の前に九具足と新調された内敷き

  平成23(2011)年06月16日
○西本願寺 御影堂での法要 参拝 16日(木)
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 素屋根の下で 御影堂前に設置された椅子席です 安楽寺は外側の席になりました

  平成23(2011)年06月16日
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 風通しも良く楽ちんでした 胸の記念式章も良い思い出になりました

 平成23(2011)年06月16日
○京都観光 宇治の平等院 翌日17日(金) 平成23(2011)年06月17日
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 皆さんは修学旅行気分でした

  平成23(2011)年06月17日
○奈良観光 東大寺 大仏 翌日17日(金)
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 東大寺大仏殿 久しぶりの大仏さん

  平成23(2011)年06月17日
○奈良観光 興福寺 五重塔 翌日17日(金)
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 興福寺 五重塔 お念仏を弾圧した時代もありました

  平成23(2011)年06月17日

◎親鸞聖人御一代記 第八回  親鸞聖人越後の生活
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 写真は『親鸞伝絵 』雪国「国府 国分寺」の図

○親鸞聖人越後の生活
 配流地越後国府における聖人の生活を詳しく知ることはできない。 京の都を追われ、大坂峠を越え、琵琶湖を船で渡り、今でいう鯖街道を歩き、福井からまた船旅で、直江津居多ヶ浜に上陸されたようである。そこから国府までの長旅を余儀なくされたのでした。

 『親鸞伝絵 』には、「大師聖人 源空 もし流刑に処せられたまわずは、われまた配所におもむかんや。もしわれ配所におもむかずんば、なにによりてか辺鄙の群類を化せん。これなお師教の恩致なり」と辺境の人たちに念仏をひろめようとの決心をもって、越後におもむいたとつたえているが、実際には、越後では、積極的な伝道活動はおこなわなかったようである。

 たとえば、聖人の門弟中、越後在住のものが覚善ただ一人に過ぎないのは、越後の伝道活動が、積極的でなかったことを示すといえる。それは、流人として下ったので、伝道は許されなかったと考えられる。また、聖人自身、積極的に念仏をすすめる心境ではなかったといゆうことであろう。越後における七年間の聖人の生活は、非僧非俗の愚禿の生活に、念仏を喜び心境を深める思索の期間であったかとおもわれます。 それは越後の風土、すなわち雪にとじこめられ荒れ狂う北海の烈風に耐える厳冬の半年と、緑にさえわたる頸城野(くびきの)に座して、さわやかな妙高の連峰に対する明と闇との月日に、苦悩と救済との対置を見、念仏による救いは、より強く聖人の膚を通じて感じ取られたことであろう。

 恵信尼様との間に、六人の子宝に恵まれ、家族仲睦まじく過ごされたことは、見て取れます。