(仏教研修会 第318回) 2000/3/26 浄土真宗の歴史に学ぶ
東西分派の背景-15・16世紀における寺院と大名-
- 守護と大名と領国大名
A 守護大名
守護とは鎌倉・室町の両幕府が、国ごとに置いた検断(警察)をつかさどる役職である。
15世紀に守護大名は、各国の国司や荘園領主がもっていた農民の支配、田租の徴収 などの権限を侵犯しはじめた。
室町幕府は、守護の軍費調達のために、荘園の年貢の半分を守護が管理する半済を実施し、 守護は強制的に領国内の荘園に守護請を行って荘園を侵略した。そのため荘園に依存していた公家や 寺院の経済に大打撃を絶えた。
B 領国大名(戦国大名)
守護大名は応仁の乱(応仁元年・1467-文明9年・1477)の後、領国の支配権を 家臣の守護代や国人層に奪われて、あいついで没落した。戦国時代末まで領国を 維持した守護大名は、武田・今川・大友・島津の数氏となった。
戦国大名は、国人・土豪層を家臣団とし、農民に対する直接支配を強めた。領国内の政治・ 経済・宗教などあらゆる分野についての支配権を確立した。
- 惣村
南北時代から室町時代にかけて現れた農村の自治組織で、「守護不入、自検断の所」とした。
乙名(長)と称する複数の指導者を選出し、寄合を行い、掟を定め、評議して行動した。
蓮如上人は坊主と年老と長とをまず教化し「この3人さへ在所々々にして、仏法に本付き 候はば、余のすえずえの人はみな法義になり、仏法繁昌であろうずるよ」といわれた。
- 本願寺の領国加賀
本願寺門徒を主力とする加賀の一揆は、同国に所領を持つ公家や社寺の年貢を納めなかった。
文明18年(1486)加賀国安江保(金沢市安江町)に領地を持つ近衛政家は、 蓮如上人の子蓮乗と蓮綱が住持する本泉寺と松岡寺とを近衛家の代官に任命し、年貢の収納をはかった。
長享2年(1488)加賀・能登・越中の門徒の一揆衆20万人が加賀の 守護大名富樫政親を滅ぼし、「百姓の土地たる国」をうちたて本願寺に帰属した。本願寺の加賀支配は 戦国時代末まで約100年間つづいた。」
- 大名、一揆のぼっ発をおそれ領内に真宗を禁止
加賀の本願寺領国化をみて、大名たちは一揆のぼっ発を防ぐため、領内の真宗を禁止した。
越後(新潟県) | 上杉(長尾)氏領内 | 30年禁止 |
相模(神奈川県) | 北条氏領内 | 60年禁止 |
三河(愛知県) | 徳川氏領内 | 20年禁止 |
薩摩(鹿児島県) | 島津氏領内 | 300年禁止 |
人吉(熊本県) | 相良氏領内 | 300年禁止 |
- 領国大名化した本願寺の支配
A 賞罰規定の強化
第10代証如上人時代に、勘気・折檻・破門・生害・後生御免の賞罰を実施。
B 賞罰強化への批判
「実如の御代にいたるまでは、後生の御免と申事は承もおよばず。 近代たれ人の申出され候わざにや。そもそも後生の御免と候て、後生をたすかるべきように申上られ候事、 何の経論にある事候や。祖師(親鸞聖人)の御ことばにも拝見申さず候。御意趣にも相違候べく候か。 不審の事にて候」(実悟著『山科御坊並其時代事』」)