(仏教研修会 第349回) 2003/5/25 浄土真宗の歴史に学ぶ

『歎異抄』が語る親鸞聖人15

1.『歎異抄』の後篇 序文

〔後編〕〔序文〕現代語訳

 その昔、親鸞聖人がおいでになったとき、同じ志をいだいて、東国から京都まで、はるか遠い道を旅して聖人にお目にかかりに来たのは、ひとえに他力の信心を一つにし、やがては浄土に参らせていただくことを願う仲間たちでした。そして聖人にお会いして、その お心をお聞かせいただきました。

 こうして聖人の教えをうけた人びとにみちびかれて念仏するものは、老人から若者にい たるまで、数えきれないほどたくさんになりました。この数多い念仏者の中に、近ごろは 聖人の教えに異なることを主張する人が多くおられるということを伝え聞きました。それら異義の一つ一つについて、つぎにくわしく述べることにします。

〔後編〕〔後編〕原文
 そもそも、かの御在生のむかし、おなじくこころざしをして、あゆみを遼遠の洛陽にはげまし、信をひとつにして、心を当来の報土にかけしともがらは、同時に、御意趣をうけたまはりしかども、そのひとびとにともなひて念仏まふさるる老若、そのかずをしらずおはしますなかに、上人のおほせにあらざる異義どもを、近来は、おほくおほせられあふてさふらうよし、つたへうけたまはる、いはれなき条々の子細のこ と。

〔後編〕〔序文〕要旨
 この部分は、蓮如書写本をはじめとする古写本には、 第十条に含まれている。しかし、その内容からして、第十一条から第十八条までの異義を批判した条々の、まえがきの文とおもわれるので、別出して、後篇の序文とした。

 この序文の中で、唯円は、親鸞の教えをうけつぐ数多い念仏者のなかに、最近は浄土真宗の教義に違反して、異義を説くものが続出しているので、以下の条々にそのことをしるすと述べている。