(仏教研修会 第352回) 2003/9/23 浄土真宗の歴史に学ぶ
善鸞事件について
1.善鸞の義絶状
第九通
仰せられたること、くはしくききて候ふ。なによりは、哀愍房とかやと申すなる人の、京より文を得たるとかやと申され侯ふなる、かへすがへす不思議に 候ふ。いまだかたちをもみず、文一度もたまはり侯はず、これよりも申すこともなきに、京より文を得たると申すなる、あさましきことなり。
また慈信房の法文のやう、名目をだにもきかず、しらぬことを、慈信一人に、 夜親鸞がをしへたるなりと、人に慈信房申されて侯ふとて、これにも常陸・下野の人々は、みな親鸞がそらごとを申したるよしを申しあはれて候へば、いまは父子の義はあるべからず侯ふ。
また母の尼にも不思議のそらごとをいひつけられたること、申すかぎりなきこと、あさましう候ふ。みぶの女房の、これへきたりて申すこと、慈信房がたうたる文とてもちてきたれる文、これにおきて候ふめり。慈信房が文とてこれ にあり。その文、つやつやいろはぬことゆゑに、ままははにいひまどはされたるとかかれたること、ことにあさましきことなり。世にありけるを、ままははの尼のいひまどはせりといふこと、あさましきそらごとなり。またこの世にい かにしてありけりともしらぬことを、みぶの女房のもとへも文のあること、こころもおよはぬほどのそらごと、こころうきことなりとなげき侯ふ。
まことにかかるそらごとどもをいひて、六波羅の辺、鎌倉なんどに披露せられたること、こころうきことなり。これらほどのそらごとはこの世のことなれ ば、いかでもあるべし。それだにも、そらごとをいふこと、うたてきなり。い かにいはんや、往生極楽の大事をいひまどはして、常陸・下野の念仏者をまどはし、親にそらごとをいひつけたること、こころうきことなり。 第十八の本願をば、しぼめるはなにたとへて、人ごとにみなすてまゐらせた りときこゆること、まことに誇法のとが、また五逆の罪を好みて人を損じまど はさるること、かなしきことなり。
ことに破僧の罪と申す罪は、五逆のその一つなり。親鸞にそらごとを申しつ けたるは、父を殺すなり、五逆のその一つなり。このことどもつたへきくこ と、あさましさ申すかぎりなければ、いまは親といふことあるべからず、子とおもふことおもひきりたり。三宝・神明に申しきりをはりぬ。かなしきことな り。わが法門に似ずとて、常陸の念仏者みなまどはさんと好まるるときくこ そ、こころうく候へ。親鸞がをしへにて、常陸の念仏申す人々を損ぜよと慈信 房にをしへたると鎌倉まできこえんこと、あさまし、あさまし。
同六月二十七日到来
五月二十九日
(在判)
建長八年六月二十七日これを註す。
慈信房御返事
嘉元三年七月二十七日これを書写しをはんぬ。
注
善 鸞: 鎌倉時代の真宗の僧 親鸞の実子 父帰京後の関東に名代として派遣されたが親鸞に背く説を唱えたとして1256年(建長8)義絶された 生没年未詳
善鸞事件:歎異抄第15条要旨
善鸞事件のとき 親鸞は手紙 の中に「まことの信心の人をば 諸仏とひとしと申すなり また補処の弥勒とおなじとも申すなり」としるし信心を得た念仏者は如来や弥勒菩薩と等しいと説いた このことを即身成仏と誤解したのであった