(仏教研修会 第386回) 2006/11/19 浄土真宗の歴史に学ぶ
子息善鸞を義絶 異端を説得に行き、異端を説く
親鸞聖人が帰京して20年近く経た時、東国で異端が発生した。子息善鸞 を説得に派遣したが、彼は新たな異端をとなえたので義絶した。
造悪無碍と専修賢善
東国念仏者の異端を大別すると、造悪無碍と専修賢善である。
造悪無碍は、悪い事をしても念仏すれば罪は消えるという考えで、これは 社会秩序をみだすので、政府の取り締まりの対象となり処罰された。
専修賢善は、親鸞聖人は仏の救いを信じ念仏するだけでよいというが、ただ念 仏だけとなえることに満足せず、善い行いをして念仏のたすけにして浄土に 生まれることを求めるという考えである。
善鸞を異端説得に派遣
異端を説く人びとは善鸞の説得に応じなかった。そこで善鸞は、自分の説 く教えは、父親鸞聖人から自分だけがひそかに伝授されたと称し、浄土真宗がそ の教えのよりどころとする第十八願は「しぼめる花」のような もので、今の世の人を救えないといった。そして浄土に生まれたい人は、私 のいうことを信じなさいとすすめた。親鸞聖人からひそかに伝授された教えだと いうことで、多数の門徒が善鸞のもとに集まった。
そのことを知った親鸞聖人は、東国門徒に対して、善鸞一人だけにひそかに仏 法を伝えたことはないといい、善鸞に義絶状を送り、親と子の関係を絶っ た。それとともに、念仏者はたがいに協力して正しい念仏を守り伝えるよう に要請した。
親鸞聖人の要請にこたえて、高田の真仏や横曽根の性信などの有力門弟が力を 合わせて、念仏集団の正常化に努力した。
その後、善鸞は祈祷師の集団のリーダーとなったが、かつて親鸞聖人に書いて もらった名号を首にかけ、たえず念仏をとなえていたという。
以下にテキストの右ページ部分を記載します
ひそかに伝える教えはない
秘事法門
善鸞は父親鸞聖人から自分だけが ひそかに本当の教えを授かっ たといい、親鸞聖人はこれを強く 否定した。それにもかかわらず、善鸞秘伝のことは、一部 の人たちに秘事法門(かくし 念仏)と称して伝えられた。
秘事法門について
異安心の一種。聖典を曲解した異義を秘密裏に伝受する法門。親鸞聖人の子善鸞が異義を布教して義絶されたが、その異義の内容は明らかでない。彼は親鸞聖人から夜中ひそかに秘密の奥義を伝えられたと虚言したという。秘事法門を夜中の法門、隠密の釈義などども称する。南北朝の頃、越前大町の如道が不拝秘事を主張したといわれ、この系統をうけた三門徒を蓮如上人は秘事法門としていましめた。
秘事法門と呼ばれるものの内容は一様ではないが、特別の宗教儀礼によって人為的に感動をあたえ、恍惚状態に導く場合が多くある。儀礼が文献によって紹介されているものに、御庫秘事(土蔵秘事)やかくし念仏がある。特定の指導者から信心が授けられるとする善知識だのみ、罪悪感を強調し異常経験をあたえる地獄秘事、儀礼を終えた者を仏に擬する一益法門、不拝秘事、十劫秘事などは秘事法門の例である。
親鸞聖人、善鸞と密談
親鸞聖人の門弟顕智が、突然親鸞聖人 の部屋を訪ねた。ちょうど冬 のことで、親鸞聖人と善鸞が炉辺で額をつきあわせ、手をとり あって密かに話し合ってい た。顕智の姿を見ると、二人は離れて座り直した。後年、 顯智はこのことを覚如上人に話し、「会話の内容はわからな かったが、仏教に関すること で、なにかわけがあったのでしょう」といった。これを聞 いた覚如上人は、「善鸞は心の中 で仏を信じながら、外面は神 子(神に仕える女性)とつき あっている。それは神子たち を救うため、わざと彼女らと仲良くしていたのだろう」といった。
呪符をのませようとする
親鷲聖人の曾孫覚如上人が相模(神奈川県)で善鸞に出会った。この時、覚如上人は腹痛で苦しんでいた。善鸞は病気によく効くといって呪符(祈祷したお札)を飲むようすすめたが、覚如上人は飲まなかったと いう。