西暦 |
和暦 |
出 来 事 誓願寺年表
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660 |
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天智天皇(38代)飛鳥時代の創立、
丈六の本尊様は当時の仏工彫刻師である賢問子(けんもんし)、芥子国(けしこく)
という父子の合作、都が大和から平安へ遷るに従って誓願寺もともに移る |
794 |
延暦13年 平安遷都
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恒武天皇の時代 京都平安遷都とともに王城の東北に
七道伽藍の結構をそのまま再現して大ぜいの人々に結縁し念仏の大道場となった
京都市上京区元誓願寺通り小川西入 |
1175 |
承安5年 |
宗祖法然上人(1133〜1212)
念仏の教えをお開きになる、時の住僧(21世)蔵俊上人も浄土の教えに深く帰依し
法然上人を中興の祖22世として迎え浄土宗念仏門の寺となる、念仏の法脈は
西山流祖証空上人、深草派祖円空上人と相ついで師資相承される |
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1585 |
天正13年 |
元誓願寺小川町から現在地へ移った
のは秀吉が天下を平定し、久しい戦乱によって荒れた都の市街を整理した時 |
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1932 |
昭和7年9月26日 |
夜半第10番目の災禍、大本堂焼失、
御本尊様さえもいたく損傷された、そこで何をおいても本尊修理をと念じつつ浄財を
募り仮殿に入仏開眼の法会が営まれた、その後本堂再建の議も成り設計図もかかげて
募財に着手したが日ならずして昭和12年7月から20年8月までの戦争・敗戦
により仏舎殿堂の建立は望んでも出来ない状態であった |
1955 |
昭和30年 |
元祖法然上人750年遠忌を期して
「本堂再建」にふみきったが募財にかかった途端に伊勢湾台風が愛知県一帯をおそい、
誓願寺末刹信徒の大部分が甚だしい大被害、ついに緊急会議を開き「再建」も「遠忌」
も3ヶ年間ストップということになる |
1964 |
昭和39年 |
本堂完成 |
1965 |
昭和40年4月 |
元祖法然上人の大遠忌をつとめる |