安楽寺 浄土真宗本願寺派 千葉山安楽寺
親鸞聖人御一代 第二回 仏教研修会2010
千葉昭彦
◎親鸞聖人御一代 第二回
  (妙音 平成21(2009)年報恩講版 千葉山安楽寺機関誌 掲載)
  (安楽寺報 平成22(2010)年脇町春版 千葉山安楽寺機関誌 掲載)

○親鸞聖人の出家
写真
左は親鸞聖人得度の絵 治承五年九歳の春  出家の理由は何であったか定かではない。五人兄弟(尋有・兼有・有意・行兼)いずれもが延暦寺・三井寺で出家している。父の入道隠棲といい、一家ことごとく仏門に入るには、容易ならぬ重大問題に巻き込まれたようである。有範の父経尹の放蕩によって、将来の出世の道が閉ざされたとも、勤め先の皇太后が亡くなり、失脚をして入道となったとも考えられるが、理由としては弱い、他の原因としては、治承四年平氏討伐に敗れた以仁王・源頼政と深い関係にあったのではと、みられる。有範の弟宗業は、以仁王の学問の師であった。王が敗死したときに、遺体の確認に呼ばれている。又、聖人の母が、源氏の出身であったことも無視できない。  聖人は、治承五年九歳の春、伯父範綱にともなわれ、青蓮院慈円(慈鎮和尚)のもとで得度して、範宴少納言公(出家した貴族の子息に付けた呼称)として出家した。動機については「興法の因うちにきざし、利生の縁ほかに催ししによりて」(親鸞伝絵)と、あるくらいで定かではない。得度にあって、有名な歌「明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の  吹かぬものかは」が詠まれたとあるが、これも定かでない。出家の後は、比叡山に登って修行に励むこととなる