安楽寺 浄土真宗本願寺派 千葉山安楽寺
親鸞聖人御一代 第十二回 仏教研修会2012
千葉昭彦
◎親鸞聖人御一代 第十二回  親鸞聖人の生涯 教行信証の著述
  (妙 音   平成24(2012)年秋版 千葉山安楽寺機関誌 掲載)
  (安楽寺報  平成24(2012)年報恩講版 千葉山安楽寺機関誌 掲載)

○教行信証 教行信証本願寺版写し この度お迎えしました
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 写真:教行信証本願寺版写し この度お迎えしました

 教行信証は、つぶさには、「顕浄土真実教行証文類」といい、釈尊の経典や高僧の著述の中、浄土に生まれるためには、どのような教えにより、いかなる修行が必要であるかということを明らかにした部分をぬきだし、類別したものである。自己の信心の正しさを確認しょうとして編まれたものである。こうした自己自身への信心の正当性確認と同時に、同信者に対し、その信心の正当性を示そうとする伝道的な配慮もあったと考えられる。教・行・信・証・真仏土・化身土の六巻からなり、最初に総序(まえがき)と、信巻のはじめにも序文がある。化身土巻の後に、後序(あとがき)がつけられている。

 「親鸞聖人正統伝」高田門徒の系統を引く学者が、江戸時代に著した聖人の伝記で、真仏・顕智などの、聖人の直弟子から伝えられた聖人に関する事績を編集したものです。ここに、聖人「五二歳の元仁元年(1224)正月十五日より、常陸笠間郡稲田で、「教行信証」を書きととのえた。聖人ははじめ四十八歳の夏のはじめころから草稿をつくりはじめたが、それはメモ程度であったが、そこで今年の春(元仁元年)から、六巻に分類して、前後始終をととのえた。いかし、清書をしたのは、五十六歳の秋だった」と伝えている。

 元仁元年は、法然上人十三回忌と、末娘覚信尼の誕生した年である。また同年には、比叡山の衆徒が念仏禁止を朝廷に要求し、嘉禄・文暦の念仏弾圧が引き起こされた。聖人は、専修念仏者に対する、度重なる不当な弾圧に、仏教における専修念仏の正しい位置づけを意図した教行信証は、聖人が東国伝道のかたわら、身辺につねにたずさえて、たえず訂正を加えていたと想像される。その一応の完成は、京都へ帰って後の聖人七十五歳寛元五年(1247)ごろとおもわれる。

 法然上人の「選択集」は、秘本としてその公開を拒否したが、「教行信証」は、旧仏教や政治権力の念仏弾圧を一つの縁として著されたようであるから、その公開はこ拒まなかったようで、化身土巻に、この「教行信証」を読んだものは、これによって浄土真宗への帰入を志念してほしいと希望している。

 化身土巻あとがきに、「よろこばしいことに、私は今こころを阿弥陀如来の本願の大地にうちたて、人智をこえた真理の大海に思いを流している。ふかく如来の御あわれみを知り、師のみ教えの厚いご恩を仰いでいる。喜びはいよいよつのり、師を仰ぐ思いはいよいよ強くなる。」と書き残しておられる。