安楽寺 浄土真宗本願寺派 千葉山安楽寺
親鸞聖人御一代 第十五回 仏教研修会2013
千葉昭彦
目 次
本 願 寺
徳島真宗青年会
安楽寺Home
安楽寺仏教研修会
16 聖人の生涯 示寂
15 信心教化と恵信尼越後へ
14 異端と聖人の教化
13 和讃の撰述
12 教行信証
11 親鸞聖人の生涯
10 親鸞聖人の伝道
09 聖人越後から関東へ
08 聖人越後の生活
07 結婚と非僧非俗
06 親鸞聖人流罪
05 法然上人の選択集
04 吉水修学
03 比叡山修行
02 親鸞聖人の出家
01
まえがき
親鸞聖人の誕生
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◎親鸞聖人御一代 第十五回 親鸞聖人の生涯 信心教化と恵信尼越後へ
(妙 音 平成25(2013)年夏版 千葉山安楽寺機関誌 掲載)
(安楽寺報 平成25(2013)年夏版 千葉山安楽寺機関誌 掲載)
○親鸞聖人の生涯 信心教化と恵信尼越後へ
写真は親鸞聖人絵
京都に帰られた親鸞聖人は 安穏な日々を送られたわけでは無かった。長男善鸞義絶問題は、尾を引き、問題解決には多くの日を要した。問題を沈静化する為に、弥陀の本願を信ずる人は、如来と等し、弥勒に同じと説いた。これを聞いた門弟の中には、真言宗で言う即身成仏と混同する者が出てくるようになた。 即身成仏は六波羅密などの自力の行を完全に実行した上に得られる悟りの境地で、その身そのままが佛になるというのである。
この聖道門の成仏に対し、従来浄土門では、この世で佛になれないから、まず浄土に生まれて、それから佛になる修業をすると考えていました。つまり、浄土は佛になるために都合が良いと理解されていた。それで、当時の浄土教の信者は、浄土へは生まれるが、佛になるとは思っていなかったようである。この点、親鸞聖人の考えは、浄土に生まれることがすなわち佛になる事であった。
正像末和讃
念仏往生の願により
等正覚にいたるひと
すなわち弥勒におなじくて
大般涅槃をさとるべし
浄土和讃に
信心よろこぶそのひとを
如来と等しとときたもう
大信心は佛性なり
佛性すなわち如来なり
夢告 正像末和讃
弥陀の本願信ずべし
本願信ずるひとはみな
摂取不捨の利益にて
無上覚をばさとるなり
この和讃を夢におお
せをこうむりてうれしさ
に、かきつけまいら
せたるなり
門信徒の教化に、心をくだかれたあとがみてとれることです。
歎異抄第十六条
「念仏者の中に、浄土真宗の教えは、弥陀佛の本願を信ずることによってのみすくわれ、しかも悪人をめあてとする教えであるとよく知っており、口では、ただ弥陀佛の救済力を信ずるばかりであるといいながら、心の中ではひそかに、悪人をたすけるとはいってるけれども、やはり善いことをする人間のほうを、優先して助けてくれるのではと考え、阿弥陀仏の救いを疑う者がいる。
しかし、そうした自分のはからいで、佛の救いの力をおしはかることは不要である。佛の救いの力を信じたならば、あとは、佛にまかせて救っていただくだけで、自分のはからいはなにもいらない。自分が悪人であるとわかれば、いよいよ阿弥陀仏を仰ぎ、うちまかせたならば、自然のことわりにて、和らいだ心、物事を堪え忍ぶこころもでてくることであろう。
すべて何事につけて、佛の救いについては、人間の浅はかな知恵でおしはかろうとせず、ただほれぼれと弥陀佛のご恩の深いことを、常におもうべきである。そうすれば、自ずから念仏が口をついて、出てくることであろう。これを自然と言うのである。自分のはからい心を捨てること、これを自然という、これすなわち他力である。」と示されておられることからも、信心の真を過たず信受したいことです。
京での聖人は、右京、左京と、転々としておられた様であるが、五条西洞院あたりの住居が気に入り、しばらく住んでいたが、火災に遭い、三条富小路の弟尋有の善法坊に移った。妻の、恵信尼様は、二十年ばかり共に暮らされたが、越後に赴かれたようであるが、ことのしだいは、明らかでない。恵信尼様の手紙から推察するに。父三善為教の所領の管理、八人の使用人の面倒、小黒の女房・信蓮坊・益方入道・高野禅尼など四人の子女が住んでいたためと思われる。京都には末娘覚信尼と門弟の蓮位がいて世話をしたようである。東国の門弟も訪れ聖人をなぐさめた。
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