蓮如上人の生涯とその教え
(仏教研修会 第283回) 1997/11/23
千葉 乗隆
◎改革と伝導−−惣と講−−

1、『存覚上人袖日記』
A、 舳渕本尊事
後藤次 覚法 覚信 西念 源五 九郎太郎 右馬太郎 藤次郎
右本尊、これらの輩、同心合力して図画し奉るの間、惣中において安置し奉る、

おのおの信仰すべきの条、くだんのごとし。
  貞和5歳巳丑3月 日   (注:1349年)
後藤次の所望によって、かくのごとく書き、これをあたう。折紙一枚□□これを書く。

B、 貞治2年癸卯9月25日 溝杭明教本尊外題 (注:1363年)
相伝し奉りおわりぬ。明念門徒明教

去る8月21日戸伏善教の本尊の外題をも忘却す。常楽台の御本尊をもって敬しく写し奉りおわりぬ。明念門徒善教。

もしかくのごとくこれを書くか。明念の遺跡はただいま惣衆持ち故、遺跡より相伝の由これを載せず。仍て某門徒の詞、相承を表すものなり。
  
2、絵系図序題(広島県山南光照寺)
一流相承系図
 右親鸞聖人は真宗の先達、一流の名徳なり、勧化都鄙にあまねく、化導道俗をかねたまへり、かの御門徒あまたにあひわかれたまへるなかに、予か信知したてまつるところの相承は、真仏・源海・了海・誓海・明光、これなり。

 ここに慶円かの明光のをしへをたもちて、みつからも信し、ひとをしても行せしむ、无智の身なりといへとも、仏法をあかむるこころあさからす、愚鈍の性なりといへとも、他力をあふくおもひふたこころなし、

 しかるに予かすすめをうけて、おなしく後世をねかひ、ともに念仏を行するともから、そのかすまたおほし、仏力の加被まことにわたくしにあらさるものをや、

 これによりて道場をかまへて本尊を安し、有縁をすすめて念仏をひろむるたくひ、先年名字をしるして系図をさたむといへとも、かさねていまこの画図をあらはすところなり、

 これすなはちかつは次第相承の儀をたたしくせしめんかため、かつは同一念仏のよしみをおもふによりて、現存のときよりその画像をうつして、すゑの世まてもそのかたみをのこさんとなり、

 しかれは名字をわか門徒につらねて、この系図につらなるともから、ことに堅固の信心をさきとして、身命をおしまさるこころをぬきいて、ふかく仏法につかふるまことをはけますへし、

 仏法といひ世間といひ、さらに邪執をすて随順を本として、かたく門徒の衆議をまもり、一流の儀をそむくへからす、

 かねてはまたこの門葉のなかに、惣のゆるされをかうふらすして、師匠の影像等をかきたてまつること、そのきこえあり、たた他門の嘲哢をまねくのみにあらす、まことに仏法の破滅といひつへし、向後なかく停止すへし、

 もし入滅ののち教授の恩徳をおもひ、そのなこりをしたはんひとは、この系図にむかはんにたりぬへきものなり、

 そのうへにこころさしあらん行者は、惣のなかになけかんとき、評議をくはへて、その期にいたり、利益ありぬへからんをは、衆議としてそのゆるされあるへきうえは、さらさら自由のくはたてをととむへし、

 もしこの制法をそむかんやからにをいては、はやくかの知識の沙汰として、本尊・聖教をかへしおさめたてまつるへし、

 かつは条々日ころ度々の置文に誓文等をのせて、くはしくしるしをきをはんぬ、ゆめゆめ違犯の儀あるへからす、

 なをなをかくのことくさためをくことは、仏法をしてみな一味ならしめんかため、門徒をして混乱せしめさらんかためなり、

 面々の行者、各々の門人、当時といひ、向後といひ、かたくこのむねをまもりて違失なからしめんかために、さためをくところ、くたんのことし、
 嘉暦元年甲寅5月 日   (注:1326年)
  
3、「御文章」
(加賀国能美郡の四講宛、文明18年正月4日)(注:1486年)

そもそも能美郡同行中について、四講ということを始て、当流の法義の是非邪正も讃嘆すべき興行これある由きこえ候、誠にもって仏法興隆の根元、

往生浄土の支度、殊勝に覚え候。それについて守護地頭方へ慇懃(いんぎん)の振舞あるべく候。同く寺社本所の所領押領の儀、固く成敗あるべく候也。

 四講会合のとき、仏法の信・不信の讃嘆のほか、世間の沙汰しかるべからず候。
 四講の人数あまりに大勢に候へば、しかるべからず候。しょせん肝要の人数をすぐりて仏法の讃嘆あるべく候也。
 当流の法義において、ちかごろは、ことのほか路次大道をきらわず、あるいはいかなるわたり船中にても、人をはばからず、仏法方の次第を、はばかりなく顕露に人にかたる事しかるべからず候。
 諸国において当流聖人さだめたまうところの法義の外に、めずらしき法門を讃嘆し、同く一流に沙汰なきおもしろき名目をつかうひとこれ多し、あるいは又、祖師先徳の作りたまう外にめずらしき聖教これ多し、ゆめゆめ此等を依用あるべからず。
 当流聖人の一流の安心のおもむきというは、すなわち南無阿弥陀仏の六字のすがたなり。・・・      文明18年正月4日    (注:1486年)
      能美郡四講中へ
4、『御文章』
(報恩講の心構え、文明14年11月21日)(注:1482年)

(前略)抑今月28日は、毎年の儀として懈怠なく、開山聖人の報恩謝徳のために、念仏勤行をいたさんと擬する人数これおほし。

誠にもて、流れをくんて本源をたつぬる道理を存知せるかゆへなり。しかるあひた、近年事のほか当流に讃嘆せさる、ひか法門をたてて諸人をまとはしめて、或はそのところの地頭領主にもとかめられ、
我身も悪見に住して、当流の真実なる安心のかたも、たたしからさるやうにみをよへり。あさましき次第にあらすや。かなしむへし。をそるへし。

所詮、今月報恩講7昼夜の内にをひて、各々に改悔の心ををこして、我が身のあやまれるところの心中を心底にのこさすして、当寺の御影前にをひて廻心懺悔して、諸人の耳にきかしむるやうに、毎日毎夜にかたるへし。

これすなはち謗法闡提廻心皆住の御釈にもあひかなひ、又自信教人信の義にも相応すへきものなり。

しからは、まことにこころあらん人々は、この廻心懺悔をききても、けにもと思て、おなしく日ころの悪心をひるかへして、善心になりかへる人もあるへし。

これそまことに今月聖人の御忌の本懐にあひかなふへし。これすなはち報恩謝徳の懇志たるへきものなり。あなかしこあなかしこ。
 文明14年11月21日     (注:1482年)