蓮如上人の生涯とその教え
(仏教研修会 第305回) 1998/11/15
千葉 乗隆
1、蓮如上人と慶恩・願正

文明4年(1472)蓮如上人が慶恩に授けた法名状
                 (石川県小松本光寺蔵)
法名状
伝へ聞く人の名の字は主によるといへる事のありぬらん、夫慶恩坊とかきては恩を悦ぶとよめる歟、しかれば此恩といふは仰なにの恩やらん、凡そ勘へみるに、此仁は本は聖道門の人なれども、近此はただ弓箭にのみたづさはりて、

更に其聖道をおいて仏法修業の心はあさかりき、依之不思議の宿縁のもよほしによりけるか、当山に来至せしむる間、何となく一流安心のおもむき耳にとどむる其恩を悦ともいひつべき歟、 又京都は本来本所たるゆへにここにてうるところの信心はみなもと、京都聖人の御恩なるがゆえにかなふべき歟、何様につけて一体勘へなれば、傍以殊勝の坊号たるものなり。
  
2、菅生の願正(加賀江沼郡菅生村)
A、 『空善記』
加賀願正と又四郎とに対して、信心といふは、弥陀を一念御たすけ候へとたのむとき、やがて御たすけあるすがたを南無阿弥陀仏と申也。総じて罪はいかほどあるとも、一念の信力にて、けしうしなひたまふなり。

されば「無始己来輪転六 道の亡業、一念南無阿弥陀仏と帰命する、仏智無生の名願力にほろばされて、涅槃畢竟の真因。はじめてきざすところをさす也」(存覚「浄土真要鈔」本)といふ御言をひきたまひて仰候き。さればこのころを、御かけ字にあそばされて、願正にくだされけり。    B、 『実悟旧記』
菅生の願性、主の聖教をよまれ候をききて、聖教は殊勝に候へども、信か御入なく候間、たうとくも御入なきと申され候。この事を前々住上人(蓮如)聞召され、萩生の蓮智を召登せられ、御前にて不断聖教をもよませられ、法義の事も仰聞かせられ、願性に仰られ候。

蓮智の聖教をも読習はせ、仏法のことを仰聞せられ候由仰候て、国へ御下候。その後は、聖教を読まれ候へば、今こそ殊勝に候へとて、有難がられ候由に候。    C、 『本福寺跡書』
賀州よねの郡菅生の願正は、在京の時、『他所より召しにと御座候』いいければ、『はや下りたと申せ、あなたこなたの召しに参り、御煩に成てのちに、これさまへ参りて御土産をば、なにをもて申さんや、下る下る』といふて、詰下りて下られたるとかや