第370回 第369回 第368回 第367回 第366回 第365回 このページ第364回 第363回 第362回 第361回 第360回 第359回 第358回 第357回 第356回 第355回 第354回 第353回 第352回 第351回 第350回 第349回 第348回 第347回 第346回 第345回 第344回 第343回 第342回 第341回 第340回 第339回 第338回 第337回 第336回 第335回 <安楽寺HOME>
浄土真宗の歴史に学ぶ
(仏教研修会 第364回) 2004/10/24
千葉 乗隆
『歎異抄』が語る親鸞聖人27   

  1. 『歎異抄』の第十七条

  • 第十七条 現代語訳

 浄土の辺地に生まれた人は、結局は地獄におちるということについて。

 このことは、どのような証拠となる書物があるのでしょうか。これは学者らしくふるま う人の中からいいだされたということですが、まことにあきれた情けないことです。その ような人は、経典や注釈書などにしるされた内容を、どのように理解しておられるのでし ょうか。


 信心のない念仏者は、阿弥陀さまの本願を疑うことにより、辺地の浄土に生まれ、本願 を疑った罪をつぐなった後、真実の浄土においてさとりを開くことができると聞いており ます。

 本願を心から信ずる念仏者が少ないので、辺地の浄土にはたくさんの人がいるというこ とです。それを、辺地に生まれたものは結局は地獄におちるなどということは、阿弥陀さ まの救いを説かれたお釈迦さまがをいっておられるということになります。

  • 第十七条 原文
一 辺地往生をとぐるひと、つゐには地獄におつべしといふ こと。この条、なにの証文にみへさふらうぞや。学生だつる ひとのなかに、いひいださるることにてさふらうなるこそ、 あさましくさふらへ。経論・正教をば、いかやうにみなされ てさふらうらん。

 信心かけたる行者は、本願をうたがふによりて、辺地に生 じて、うたがひのつみをつぐのひてのち、報土のさとりをひ らくとこそ、うけたまはりさふらへ。

 信心の行者すくなきゆへに、化土におほくすすめいれられ さふらうを、つゐにむなしくなるべしとさふらうなるこそ、 如来に虚妄をまふしつけまひらせられさふらうなれ。

  • 第十七条 要旨
 この条には、「辺地堕獄」の異義を批判する。辺地 堕獄とは、浄土の辺地に生まれたものは、最後は地獄にお ちるということである。この異義は、第十一条の誓名別信 の異義に属する。

 阿弥陀仏の誓願の不思議を疑い、自力の行をはげみつつ 念仏する人は、浄土の辺地に生まれることになる。しかし、 そこで誓願不思議に気づかされる身となって、ついには真 実の浄土に生まれさせられるのであって、辺地に生まれた ものは、最後には地獄におちるなどということは、どこに も説かれておらず、それは正しい仏法を誤解する異義であ ることを強調する。