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親鸞聖人の出家 治承5年(1181)九才の春
父は日野有範。日野氏は儒学と歌道で朝廷に仕えた。永承6年(1051)、日野資業は京都東南郊外の日野に法界寺阿弥陀堂を建てた。親鸞聖人は日野で生まれたといわれる。
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親鸞聖人の生涯を描いた絵巻の『親鸞聖人伝絵』は、親鸞聖人の死後33年、
永仁3年(1295)に曾孫の覚如が作ったもので、最も信用できる伝記であ
る。その『親鸞聖人伝絵』には、出家の原因について「仏門に入る因縁
が熟したため」としるすだけで、具体的な理由は書いていない。
父有範をはじめ、弟の尋有・兼有・有意の一家全員が出家した。これ
は有範の身辺に、なにか重大な問題が発生したためであろう。
親鸞聖人が4歳のとき父が、8歳のときに母が亡くなったためという説が
ある。しかし、有範は皇太后宮の大進(大進は大夫・亮につぐ職階)を
退くと出家し、日野の南の三室戸に隠棲し、かなり老年に至るまで生き
ていた。この有範の失職が、一家が出家した原因かもしれない。
有範の父経尹は阿波権守(徳島県副知事)であったが、行状が悪く日
野家の系譜から除籍された。そのため有範は昇進の道を断たれて、失望
したためとも考えられる。また以仁王(後白河上皇の皇子)と源頼政が
治承4年(1180)、平家追討の挙兵をしたが失敗している。有範の弟宗業
はこの以仁王の学問の師で、また有範と父経尹の妻はいずれも源氏の出
身であったので、この事件との関係を挙げる説もある。
このころの出家の一般的な動機は、戦乱・飢饉などによる社会不安と
末法思想の影響があるが、有範一家には何か特別の理由があったのであ
ろう。親鸞聖人と同時代の鴨長明(1155〜1216)は京都の下鴨神社の禰宜
(神職の位)であったが、立身出世の道を断たれ失望して出家した。親鸞
聖人の生まれた日野に小さい庵を建て、阿弥陀仏像を安置し隠遁の生活に入
った。そして移りゆく世をなげいて『方丈記』を書いた。
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比叡山での修行 山も世俗化し争いの場となる
親鸞聖人は京都青蓮院の慈円のもとで出家し、比叡山にのぼり横川の首楞
厳院の堂僧として学問と修行にはげんだ。
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最澄が比叡山に修行の施設を造ったのは、混迷する社会から離れた静かな
別世界で、さとりを得させるためであった。
親鸞聖人が入山したころの比叡は、東塔・西塔・横川の3塔と、これに所属す
る16谷に多数の堂舎・僧坊があったという。そして寺内には学問・修行に
専念する学生と寺務を処理する堂衆がいた。
この学生と堂衆、また東塔と西塔との間で、それぞれ争いが起こり、僧た
ちは武器を手に戦った。
また同じ天台宗の三井園城寺、さらには奈良興福寺とも争った。
そのため、比叡の修行者は山を下り、京都の市街に住み、「市井の聖」と
なってさとりを求めた。
親鸞聖人の師慈円も比叡の混乱ぶりに絶望して山を捨てた。しかし、思い返し
て山に帰り、天台座主となって混乱の収拾と教学の振興につとめた。
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親鸞聖人は比叡で堂僧として修行にはげんだ。堂僧とは、学生・堂衆ではなく、
常行三昧堂に奉仕する僧であった。このお堂で行われる行事は、堂内の
阿弥陀仏像の周囲を、口に阿弥陀仏の名をとなえ、心に阿弥陀仏を念じなが
ら歩きめぐる行で、三昧とは心をひとつに集中して紊さないようにすること
である。
この修行法は、最澄のあとをついだ円仁が、中国の五台山において学び伝
えたもので、「山の念仏」(不断念仏)といった。
親鸞聖人は堂僧として天台宗の基本的な修行や学問に専念するとともに、山の
念仏にも参加して、さとりへの道を励んだのであった。
以下に右ページのテキスト部分を記載します
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出家の動機
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『或は春夏ひでり、或
は秋大風・洪水など、
よからぬ事どもうち
つづきて、五穀こと
ごとく実らず。…道
のほとりに、飢え死
ぬる者のたぐひ、数
も知らず、取り捨つ
るわざも知らねば、
くさき香、世界に満
ち充ちて、(死体の)
変人りゆく容あ人りさま、
目も当てられぬこと
多か人り。』
『方丈記』には、親鸞聖人が出家したころに発生した飢饉の状況が詳しく
しるされている。
鴨長明は日野の山中に3メー
トル四方の小さい家を建て
た。室内には阿弥陀仏の絵像
をかけ、その前に机をすえた。
机の上には源信が書いた『往
生要集』を置いていた。長明
は琵琶の名手であった。
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比叡の実状
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最澄の死後100年、比叡
は火災などで荒廃した。天
台座主良源(912〜985)は
権力者藤原師輔の援助で堂
塔を整備した。これ以来貴
族出身者を優遇し、比叡の
世俗化が進み、道を求める
人たちを失望させた。
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堂衆:出家はみな平等だ。学生だといっていばるな。
学生:堂衆の身分で学生に反対するとはけしからん。
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後白河上皇をして三不如意(3つの思い
のままにならぬこと)となげかせたもの
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僧とは→梵語のサンガ(僧伽)の略字
:和合(仲よくする)という意味
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堂内の阿弥陀仏像の周囲を、口に阿弥陀仏の
名をとなえ、心に阿弥陀仏を念じながら歩き
めぐる行。
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