2022年3月
(世界遺産フォーラム 於ける本願寺 1997/6/16) 本願寺の歴史と文化財
1、本願寺における伽藍の配置 寺院の主たる建物には仏像が安置されていますが、本願寺では親鸞聖人の木像を安置する御影堂(ごえいどう)が建造物の中心に位置しています。 即ち本願寺の門を入ると正面に二つの大きな建物が並んでい […]
(仏教研修会 第391回) 2007/5/13 浄土真宗の歴史に学ぶ
荒木門徒の明光と了源 山陽・山陰・四国など西日本を教化 武蔵の荒木門徒の流れをくむ明光とその門弟了源は、存覚の指導のもと、「名帳」「絵系図」を用い、近畿、西日本に教えを伝えた。 明光と了源 明光(1286~1353)は相 […]
(仏教研修会 第390回) 2007/4/22 浄土真宗の歴史に学ぶ
覚如、存覚を義絶 東国門弟、覚如の本願寺中心主義に反撥 覚如上人は長男存覚を二度義絶した。存覚には多くの著書があり、広い視点から親鸞教学の理解を図り、東国門弟と協調の姿勢をとった。 覚如、存覚を義絶 覚如上人は留守職に就 […]
(仏教研修会 第389回) 2007/3/25 浄土真宗の歴史に学ぶ
大谷影堂の寺院化 大谷を中心に門徒の統合を図る 第3代覚如上人は留守職の地位向上をはかるとともに、影堂を浄土真宗の全門徒の本所(本山)にしようとして寺号を名乗る。 大谷影堂を本願寺と称す 唯善が破壊した堂舎は東国門弟が再 […]
(仏教研修会 第388回) 2007/1/21 浄土真宗の歴史に学ぶ
親鸞聖人の墓所「大谷廟堂」 雨や風にうたれる野ざらしの墓 東国から墓参に来る門弟たちにとって、その質素な墓はさびしい思いを抱かせたので、墓をおおう建物を造った。 大谷廟堂を造る 親鸞聖人の晩年を世話した末娘覚信尼(一二二 […]
(仏教研修会 第387回) 2006/12/23 浄土真宗の歴史に学ぶ
浄土にかえる 門弟たちは親鸞聖人を阿弥陀仏の生まれ変わりとあがめる 親鸞聖人の妻恵信尼さまは、常陸の下妻において、親鸞聖人は観音菩薩(阿弥陀仏の脇侍)の生まれ変わりであるとの夢をみる。以来、観音の化身と尊敬した。 親鷲聖 […]
(仏教研修会 第386回) 2006/11/19 浄土真宗の歴史に学ぶ
子息善鸞を義絶 異端を説得に行き、異端を説く 親鸞聖人が帰京して20年近く経た時、東国で異端が発生した。子息善鸞 を説得に派遣したが、彼は新たな異端をとなえたので義絶した。 造悪無碍と専修賢善 東国念仏者の異端を大別する […]
(仏教研修会 第384回) 2006/09/23 浄土真宗の歴史に学ぶ
京都に帰る 帰京の目的は『教行信証』の完成と著述 帰京した年時ははっきりしないが、親鸞聖人が63歳の嘉禎元年(1235)に 鎌倉で一切経の校合を行っているので、それ以後のこと。 一切経(大蔵経)の校合 鎌倉幕府の執権北条 […]
(仏教研修会 第383回) 2006/6/18 浄土真宗の歴史に学ぶ
鸞聖人の門弟 弟子は一人ももたず、みな仏の弟子 20年余り常陸を拠点に北関東から奥州にかけて伝道につとめた。これ によって多くの門弟や門徒が親鸞の教えに帰依した 『親鸞聖人門侶交名帳』 これは親鸞の門弟の名前をしるした名 […]
(仏教研修会 第382回) 2006/5/21 浄土真宗の歴史に学ぶ
東国伝導 関東は振興の政治・文化の中心地 法然上人と親鸞聖人は配流4年後の建暦元年(1211)11月に罪を赦された。 法然上人は翌年正月に80歳で死去。親鸞聖人は3年ほど越後にとどまったのち、東国へ出発した。 善光寺の念 […]