山号院号
安楽寺 千葉山妙音院 あんらくじ
宗派
浄土真宗本願寺派
本尊
阿弥陀如来
創建・開基
鎌倉中期(1259年) 天台宗真如寺を改宗して安楽寺となる。
歴史
寺伝によると安楽寺は、創立年次は明らかではありませんが、元は平安時代から続く天台宗の四国総録(統括)寺院の真如寺でした。(天台宗の時代の遺跡として、境内の西北隅に天台宗寺院の守護神「山王権現」の小祠があります)
13世紀に親鸞聖人によって浄土真宗が開創され、安楽寺はその法流を受け継ぐことになります。
東国から来た千葉彦太郎によって安楽寺に改め、天台宗から浄土真宗に改宗されたのは、正元元年(1259)と伝えられており、浄土真宗寺院としては、四国最古期の寺院となります。
上総(千葉県)の守護・千葉常隆の孫彦太郎は、宝治元年(1247)に娘婿の三浦泰村が幕府の執権北条時頼と争い討たれたとき、彦太郎も時頼に攻められました。
東国は親鸞聖人が多年にわたり教化され、浄土真宗が盛んな地でした。彦太郎は討ち手を逃れて、この地方の真宗門徒の指導者であった真仏上人(親鸞聖人の高弟)のもとで出家したと云われています。
そして正元元年(1259)に阿波(徳島県)の守護であった縁族(大おじ広常の女婿)の小笠原長清を頼って阿波に来て、長清の世話で安楽寺に入ったということです。
長清の子長房から梵鐘と寺領100貫文を寄進され、寺領はその後も、阿波の領主となった細川・三好・蜂須賀の各大名から安堵され、安楽寺の経済的基盤になりました。
14世紀に安楽寺は仏光寺(浄土真宗の一派)に属していましたが、15世紀に蓮如上人のとき、本願寺の傘下に入りました。
16世紀に入ると、永正12年(1515)に火災が起こり、伽藍・法宝物等ことごとく焼失しました。寺はしばらく瀬詰村(徳島県麻植郡山川町瀬詰安楽寺)に移り、その後、讃岐財田(香川県三豊郡財田町)の宝光寺に入りました。
5年後の永正17(1520)年に、三好長慶の寺領安堵と召帰しの状によって、郡里の地に帰り寺を復興し、ここを拠点に仏法の伝道につとめました。その結果、四国東部に教線をのばし、17世紀に安楽寺の支配に属する寺は、阿波21、讃岐50、伊予5、土佐8の合計84ヶ寺に達しました。
本堂、鐘楼、書院、山門が文化財として登録されており、なかでも宝暦6年(1756)に建立された三間三戸二階二重門の山門は、上下層で異なる特異な建築様式を呈しています。また安楽寺には「赤門寺(あかもんでら)」の別称があるように、この朱塗の山門は安楽寺を象徴する建物でもあります。