安楽寺 浄土真宗本願寺派 千葉山安楽寺
寺町
美馬市美馬町では安楽寺周辺を寺町と呼んでいます
美馬町の寺町を形成する
願勝寺 真言宗御室派 宝壺山真城院 願勝寺
寺町地図
〒771−2105 徳島県美馬郡美馬町
    
山号院号 願勝寺 宝壷山真城院 がんしょうじ
宗派 真言宗御室派(本山・京都仁和寺)
本尊 阿弥陀如来
創建・開基 平安末期(1165年頃) 維摩寺改め願勝寺となる
本堂 江戸中期の再建。(約270年前)(修理はされている)
山門 八脚門(仁王門) 江戸末期の建立。(明治直前)
その他 1998(平成10)年、7月願勝寺庭園が県文化財・名勝(庭園)に
指定された
 南北朝時代(1336〜1392)の築造と推定される枯山水

願勝寺の歴史等
 奈良時代に忌部五十麿(いんべいそまろ)が祖父の菩提を弔うために、阿波上郡に方壺山維摩寺(ゆいまじ)を建立した。平安時代藤原信西(しんぜい)の娘 阿波内侍が崇徳天皇に仕えて、大変可愛がられていた。たまたま 第77代後白河天皇(崇徳天皇の弟)の御代に保元の乱(1156年上皇と天皇の対立による戦い ほうげんのらん)が起こり、崇徳上皇側が破れ、崇徳上皇は讃岐(香川県)に流され、1164年の8月讃岐の地に崩御された。46才であった。

 阿波の内侍 これを聞いて悲嘆にくれ、仏門に入り比丘尼となり、館をあらため寺とし、上皇のご冥福を祈った。・・・その寺が京都の願勝寺であった。・・・

 憚(はば)かるところがあって、内侍尼は了海上人(りょうかいしょうにん)に託して京の願勝寺を母の生国である阿波に移し維摩寺改め願勝寺とした。・・・これが現在の願勝寺のはじまりである・・・ 

願勝寺の庭園(枯山水)
 南北朝時代(1336〜1392)に築造された池泉式枯山水の庭園は四国最古。

 昭和33(1958)年鈴江弥太郎氏によってその価値が発見され、京都林泉協会会長重森三玲先生によって全国にそのすばらしさが紹介された。それを受けて文部省は昭和41年科学研究費補助金によって、調査費を交付し、大阪美術館佐々木利三氏によってその年の秋に実測。「岩組み」は、かの有名な京都天竜寺の「岩組み」と同一手法で全国に散在する五つの滝の一つである事が判明。
参考パンフレット
美馬の寺町(古道逍遥) 寺町かいわい(寺町散策)