安楽寺 浄土真宗本願寺派 千葉山安楽寺
妙音 千葉山安楽寺機関誌 平成23(2011)年 脇町報恩講版 
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◎御正忌報恩講のご案内
写真
平成二十三(2011)年  ご正忌報恩講 ご案内
十二月四日 (十二月第一日曜日)
 法要 午後一時始
  正信偈 御俗姓拝読
 法話 午後一時半始
 講師 千葉昭彦 前住職
 場所 脇町安楽寺本堂
 お齋(昼食)を準備しています お早めにお越しください どなたでもお参りできます
 ご親戚、ご近所の方々もお誘い合わせの上御参拝下さい ご多忙中とは思いますがよろしくお願いします
 左の写真は脇町安楽寺親鸞聖人像です
  脇町安楽寺執事所

◎報恩講とは
 報恩講は、浄土真宗肝要の法要です。 家々の、お内仏で、年に一回お寺が参って、御家族と一緒に勤めます。

 「お講づとめ」とも「ご正忌さん」とも「かけづとめ」とも言い習わされています。

 安楽寺では、十二月第一日曜日に、ご本山では一月一六日に御正忌報恩講を勤めます。

 「仏法の信不信をあいたずねて、これを聴聞して、まことの信心を決定すべくんば、真実真実、聖人報謝の懇志にあいかのうべきものなり。」(御俗姓)にあるように、仏法の疑いをはらすために、聴聞して、真の信心を確かなものに致すことが、私に、浄土往生をすすめ下された、親鸞聖人ご出世のご恩に報うことになります。門徒一同、懇志を運び 焼香のご縁にあずかり、聞法にいそしみたいものです。婦人会がお齋の用意をしています。早めに、お越し下さい。

 お世話人に、ご案内をお願いいたしております。同時に「お手伝い帳」を回しておりますので、ご協力お願いいたします。
 報恩講法要懇志・お初穂
 本山門徒講金・賦課金
 四州教区賦課金
 安楽寺建造物維持費
に充当いたします。

 浄土真宗では、故人を偲んで、代々ご法が伝わるように、「永代経懇志」をあげる慣わしがあります。御進納ご協力下さい。安楽寺什宝物の購入資金に致します。
◎お寺の日 毎月二十日です お寺にお参りしましょう
 毎月二十日は脇町安楽寺のお寺の日です。聴聞は浄土真宗門徒の心得です
 ご法話に耳を傾け、真の教えに、我が心を振り返り、「ありがとう」と御恩報謝に、今日一日を精一杯。ご一緒いたしましょう。全国各地から本願寺布教使がご法話に来られます
 脇町安楽寺婦人会の皆様による昼食のお接待があります。
 昼食は12時からです
 ご法話は午後1時からです
◎大晦日の除夜の鐘  新年の勤行
除夜会 大晦日(三十一日)午後十一時半除夜の鐘
修正会 元旦(一日)午前0時年始めのお勤め
婦人会 新年お祝いのおぜんざいがふるまわれます
一年を反省し、新しい一年を踏み出します。
◎親鸞聖人御一代 第九回 親鸞聖人越後から関東へ
○親鸞聖人越後から関東へ
写真
  写真は常陸へ行く親鸞聖人「善信聖人絵」

 法然上人は、讃岐へ流罪されたが、一年たらずで流罪を許された。しかし、洛中への往還を許されず。摂津勝尾寺に留め置かれ、四年後(建暦元年一二一一)にようやく京都に帰ることを許された。同時に親鸞聖人も赦免された。その二ヶ月後(建暦二年)法然上人は八〇歳をもって示寂した。

 親鸞聖人はこの知らせを受け、京に帰る望を捨て、なお越後にとどまった。この年三月に信連房が誕生したことも一因と思われる。三年後建保二年(一二一四)聖人四十二歳の頃越後を出て、常陸の国に向かった。

 理由は定かでないが、一つは、法然上人の遺言に、「遺弟は、各自の居所に住み、一カ所に集まらないように」諭している。これは、多数の念仏者が集合すると、他の教団を刺激し、争いが起こり、弾圧を招くことを配慮してのことと考えられる。このお諭しに従われたか?

 他には、恵信尼の実家三好氏の所領が常陸にあった。越後の農民が常陸に移住したので、共にした。聖人の尊敬する聖徳太子の信仰が東国で盛んであった。諸説ある中で、最近の調べで有力なのは、善光寺の勧進聖であったとする説である。「安城の御影」の装束や所持品は、当時の念仏聖に共通するもので、聖人は遍歴遊行して念仏をすすめる聖の一人であったとするもので、善光寺聖と共に行動して常陸に赴いたとする注目に値する説である。聖人は晩年、「善光寺如来和讃」を作っておられ、「親鸞伝絵」にも、聖人は善光寺本願の御房であると記されている事も興味深い。

 当時の関東は、鎌倉幕府が樹立されて間もなく、フロンティア的気風が色濃く、革新的な、念仏伝道の地と定め、保守的な越後を離れて、移住されたか?疑問は多いが、家族揃っての移住にはよほどの決断があったと推察される。関東に親鸞聖人一流のお念仏が広まることとなり、このご縁無くば、安楽寺の今日も無かった。

◎親鸞聖人御一代 第十回 親鸞聖人の伝道
○親鸞聖人の伝道
写真
  写真は山伏弁円の起伏「善信聖人絵」

 阿弥陀仏の浄土に往生するための行に、読誦・観察・礼拝・称名・讃嘆供養の五種があるが、法然上人は、それら五行のうちから、特に称名の行を選んで、阿弥陀仏の名をとなえることが助かる道であると説いた。即ち、専修念仏である。

 恵信尼文書によると、親鸞聖人は、建保二年(一二一四)、越後から常陸へ向かう途中、上野(こうずけ)国佐貫に滞在したとき、人々の幸福を願って「浄土三部経」を千部読もうと思い立って、読誦を始めた。聖人は、比叡山の修行によって、読経の行を積み重ねていた習慣によって、何気なく始められたようである。しかし、専修念仏者にとって、称名より他になすべき事無く、ただ念仏によって救われることを、ひとりでも多くの人に伝えることこそ、本当に人びとに幸福を分かちあうことができるのだ、と思い返したとある。寛喜三年(一二三一)に、再び、佐貫で中止したはずの読経の行を志念したという。風邪のため発熱し苦しんでいたとき、発病二日目に、「大無量寿経」を絶え間なく読み、目を閉じてもお経の文句がはっきりと目の底に見えた。思い起こせば、一七・八年前千部読誦を中断したことがある。あのときの経を読もうとした心が残っていると思い、比叡山で修めた自力の行への執着というものは、なかなかぬぐい去ることの出来ないものと知らされたと、聖人はしみじみ語られた。と恵信尼は記している。

 他力の教えを弘めるために自分があるはずであるのに、自力の行から抜けきることの難しさを強く感じながら、弥陀の本願を信ずるものは、その喜びを人びとに分かちあうことこそ、念仏者のあるべき道と思い返し、常陸の国で伝道を始めた。

 念仏が、広まり多くの支持を受けるようになると、妬むものも出現した。山伏弁円である。板敷山を往き来していた親鸞を待ち伏せしたが叶わず、ついに禅室までおしかけた。ところが、聖人は、ことさら警戒するでもなく、さりげなく、弁円に会った。その姿に接した弁円は、「害心たちまちに消滅して、あまつさえ後悔の涙禁じがたし。ややしばらくありて、ありのままに日ごろの宿鬱を述すといえども、聖人またおどろける色なし。たちどころに弓箭を切り、刀杖をすて、頭巾をとり、柿の衣をあらためて、仏教に帰しつつ、ついに素懐をとげき、不思議なりしことなり。すなわち明法坊これなり」と。絵伝にある。
◎年回表 平成24(2012)年
平成二十四(2012)年 年回表
一  周忌
三  回忌
七  回忌
十三 回忌
十七 回忌
二十五回忌
三十三回忌
五十 回忌
六十一回忌
百  回忌
平成二十三年
平成二十二年
平成 十八年
平成 十二年
平成  八年
昭和六十三年
昭和五十五年
昭和三十八年
昭和二十七年
大正元年

 平成二十四年度の年回繰り出し表です。
 お寺から、繰り出し表をお届けしていますが、間違いがあるかも知れませんので、念のためお確かめ下さい。
 一周忌・三回忌・六十一回忌・百回忌は、繰り出しをしていません。
 法事の申込はお早めにして下さい。土・日、特に連休は立て込みますので、ご注意下さい。
 浄土真宗では、ご追善の法事と言う言葉は用いません。「年回の法事」と挨拶いたしましょう
◎お稚児さん募集 美馬安楽寺報恩講に出仕 平成22(2010)年/12/26(日)
 小学生男女の児童であればどなたでも参加できます
 12月26日(日)に美馬安楽寺報恩講にてお稚児さんが出仕します
 午前10時までに美馬町安楽寺本堂に集合して下さい  参加費は1名あたり1000円です 衣装 昼食 参加記念品代 込みです
 持参品は白靴下
せいてん・念珠(ない人には、当日お渡しします)
 お申込は12月20日までに、安楽寺0883-63-2015に電話で申し込んでください。

 阿弥陀様の智慧と慈悲をいただいて みんなが仲良く幸せになれますように お稚児さんにご出仕いたければと思います
 特に 今年ご家族がお浄土で仏様になられた方がおられるお宅の方は、ご奉仕にご出勤(参加)していただければと思います 浄土でお参りを楽しく待っておられるとことでしょう