安楽寺  浄土真宗本願寺派  千葉山安楽寺
妙音 千葉山安楽寺機関誌 平成25(2013)年美馬春版 
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◎蓮師御正当法要 及び特別永代経法要 ご案内
 蓮師御正当法要 及び特別永代経法要 ご案内
 開催日 平成二十五(2013)年四月二十八日(日)
 
 時 午前十一時 初参式
  午前十一時半 新規永代経開闢法要
  正午 法要勤修
     
  午後十二時半 法話
  午後一時 読み上げ 美馬市以外
  午後一時半 法話
  午後二時 読み上げ 旧脇町
  午後二時半 法話
  午後三時 読み上げ 旧美馬町
 
 場所 安楽寺本堂(美馬市美馬町)
   昼食の用意を致しております。
   お早めにお越しください

◎「初参式」に参りましょう
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○平成二十四年にお誕生の赤ちゃん
  阿弥陀様にお誕生の報告をいたしましょう
○時 平成二十五年四月二十八日(日)午前十一時までにお越しください
○所 安楽寺本堂
○費用 一名につき一千円 四月二十日までにお申し込み下さい
     安楽寺(0883−63−2015)へお知らせください。
     御門徒に限らずどなたでも可

◎蓮如上人(れんにょしょうにん)
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○本願寺八代門主 中興の上人
 お念仏の教えを全国に広めた。南都(奈良仏教界)比叡山から弾圧を受け、京から北陸、山科・大阪へと本願寺は移転を余儀なくされた。

○ご事績
 御文章による布教 今でいう文書伝道 あなかしこで終わるお手紙

○正信偈の勤行
 朝夕に正信偈を勤めるよう勧める

○大衆勤行を広める
 門主・僧侶・門徒が共に法要を営む。導師に合わせて共に合掌礼拝いたします。声に出して耳に聞きます
◎事業実施順位
 親鸞聖人750回大遠忌と安楽寺住職継職を記念する事業
○住職継職法要を執行する
 平成25(2013)年六月三十日(日)午後一時半始

○親鸞聖人七百五十回大遠忌法要を 執行する
平成二十六年初夏に執行する

○鐘楼修復(登録文化財)
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 瓦の崩落、植物の自生、土 が肥えている、風の影響で傾 いている修理の時期が来ている 梅雨までに実施する


○土塀修理
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 台風等で屋根瓦が吹き飛び雨が浸透している、本体が痛んでいる 着工


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○書院屋根葺替え(登録文化財)  雨漏りが確認されている早急の対策が待たれているので 梅雨までに実施する

○乘驪L念の庭造成
 修理中の 練り塀の内側に、剣山を借景にした庭園を造営する 派手に目立つことを好まなかった乘驍フ心を表現するにはこう言うかたちが善いと思います。

○本山法要懇志進納
 済み

○内陣荘厳
 内敷新調(済み)・釣り灯籠コーティング(済み)・巻き 障子修理

○下水処理・消火栓設置
 済み 市の事業に合わせ完了

○お茶所建築
 本願寺には参詣の門徒が、休みくつろぐ場所として、お茶所が建てられています。これに代わるものとして 安楽寺では集いの広場「慈光舎」の建築を計画しています。

○機械器具のメンテナンス
平成八年春、客殿・庫裏が竣工致しました、早十五年の年月が過ぎました。機械器具の点検整備が必要です。
◎懇志進衲に感謝
 懇志進衲にご協力頂き有り難うございます
 今回は法要費・事業費併せて一戸当たり目標額を十五万円としています。ご協力をお願い致します。

 法要費分一戸口五万円の御進納を宜敷お願い致します。
 五万円を超えた分は、事業費に充当致します。事業完遂まで募財を継続致しますので、事情ご賢察の上尚一層のご協力をお願いいたします。

 五万円以上御進納の方に記念品「安楽寺十星紋入り名刺盆」お届け致しております。五万円以上お届けいただいた方で、記念品が届いていない方はお申し出下さい。

 五十年に一度の法要です。記録を見ておりますと、安楽寺門徒で、都会に出られた方からも懇志が寄せられています。遠隔地ご家族にも呼びかけて下さい。安楽寺の総力を結集して円成致したいと存じます。

 振替用紙同封致しますご利用下さい
 案内状を送りますので 遠隔地ご家族住所・氏名お知らせ下さい
◎法要懇志進衲状況
   平成25年2月締め切り分
口単位万円 口数 金額万円
300  1 300
100  2 200
50  3 150
35  1 35
30 10 300
20 38 760
15 106 1,590
14  1 14
10 69 690
 8  2 16
 7  4 28
 6  1  6
 5 75 375
 3 23 93
 2 21 42
 1 21 21
 計 386 4,620
   平均11.9689
目標 法要費 5*700:3,500万円
目標 事業費10*700:7,000万円
郵便振替口座番号 01650-8-23620 安楽寺護寺会

◎お寺の役割
 お寺の果たす役割が急激に変化しています
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 お葬式・法事の形が大きく変化しているからです。
 お葬式は、近所が手伝って、誰もが平等な形で出棺出来ていましたが、ホールを利用して、家から出せなくなっています。伴って、格差が目につくようになります。

 法事も、家ですることが困難になっています。手料理は姿を消し、仕出しが主流です。やがては大人数の来客のおもてなしが出来なくなって、料理屋に出向くことになります。

 上げ法事が急増しています。元来あげ法事は、纏めて法事をしたので、当たり命日にお寺にお参りします。また取り込みごとがあって家で出来なくて、というものでした。

 しかし老夫婦で、掃除片付けが困難になり、お客ごとが出来なくなる。若い夫婦が建てた家は、お客を迎える間取りになっていない。法事の施主が都会にいて田舎にいない等々、時の流れを感じます。この流れは止めることが出来ません、これから十年先十五年先を考えますと、尚一層この形態が顕著になってくると思われます。
◎お寺に我が家を
 お寺に我が家を建てましょう
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 お茶所=自分の家のように利用できる建物=集いの広場の建設を記念事業に計画しています。

 家族、親戚が集まって、わいわいがやがや、特に法事は孫子の正月といわれるほどに賑やかなものでした。

 人が人を育てる。大切に思ってくれる人に育てられて優しさをまなぶ。幸せを願って今日一日を精一杯。どれも大切なことです。だから、阿弥陀様と一緒の人生を歩めと、我が家にお仏壇が有り。阿弥陀様の願いを確かめるようにと、ご法事のご縁あります。ありがとうを学ぶお寺の行事をみんなみんな、子や孫に伝えたい。そのための家造りです。

 今なら出来る。力を合わせて、十五年先の子や孫のために用意しておきましょう。
◎親鸞聖人750回大遠忌法要 住職継職法要

 永らくお待たせ致しましたが次の通り執行致します 詳細につきましては後日お知らせ致します

○親鸞聖人750回大遠忌法要
 平成26(2014)年初夏に予定します

○住職継職法要
写真  

 平成25(2013)年6月30日(日) 午後1時半から執行致します
 第二十七世住職廣開院釋乘驍ゥら
 第二十八世住職釋昭彦への継職報告を致します
写真   写真  

◎副住職の結婚と脇町住職継職
 脇町安楽寺住職で美馬安楽寺副住職を兼務します
○副住職釋恒乘は6月1日西本願寺にて結婚式を挙げます
 6月30日安楽寺尊前に報告致します
 結婚披露宴を午後1時から脇町ディスティノにて行います。
 新婦は今小路聡子さんです。

○脇町安楽寺住職継職法要 於ける脇町安楽寺にて
 平成25(2013)年6月30日(日) 午前10時半から執行致します
 第四世住職釈昭彦から
 第五世住職釈恒乘への継職報告を致します

◎親鸞聖人御一代 第十四回
○親鸞聖人の生涯 異端と親鸞聖人の教化
  造悪無礙と専修賢善の異端が関東に広まり、苦慮される
写真
 写真は親鸞聖人像 安楽寺境内

 造悪無礙とは、法然上人の念仏が広まるにつれ、間違った解釈をする者が出て、念仏弾圧の元凶ともなった。法然上人も、「専修念仏者は戒行を修さなくとも浄土往生にはさしつかえないからといって、飲酒・肉食をすすめたり、戒行を保つ者を雑行人と見下してはならない。又弥陀の本願を信ずる者は、罪を犯してもおそれることはないと説いてはならない。」と 、造悪無礙を戒めている。しかし、この考えをもつ念仏者はその後も後を絶たず、親鸞聖人の門弟たちにも、悪をも恐れぬふるまいをするものがおったようで、建長四年の手紙に「浄土真宗の真実の教えを理解しないで、悪いことをしても阿弥陀仏はたすけてくださるのだからといって、悪いことをしてもよいというのは謝った考えであると、戒めている」これは、常陸国の門弟に出された手紙であるが、この地方の造悪無礙をすすめていたのが、信見という僧であった。

 同時に東国では、専修賢善の異端が行われた。これは、もともと親鸞聖人の教えは念仏以外の戒行を否定し、もっぱら念仏を修することによって救われる道であった。しかし、ただ念仏だけに満足せずに、善い行いをして念仏のたすけにしょうと考えたり、念仏を多くとなえてその功徳によって浄土に生まれることを願うというものである。歎異抄十六条には「すべてよろずのことにつけて、往生にはかしこきおもいを具せずして、ただほれぼれと弥陀のご恩の深重なること、つねはおもいだしまゐらすべし、しかれば、念仏も申され候ふ 」といましめている。

親鸞聖人が関東を後にしてから、造悪無礙・専修賢善・正統念仏者の三グループが、うずまいて競うことになっていた。そこで、親鸞聖人は、息男慈信坊善鸞を異端説得に関東に派遣した。

 善鸞は、当初造悪無礙の人たちを対象に説得を続けたようで有るが、徐々に反対の立場の、専修賢善グループに荷担するようになったようで、権力者とも結託するようになって、正統念仏者までも弾圧するに至った。善鸞はこうして、関東での自分の地位を獲得しようとした。善鸞は、道徳が守れないのは、真実の信心が無い証拠である。弥陀の本願を信じてただ念仏するだけで無く、悪を廃し善を行わなくては真の念仏者とはいえない、とする、専修賢善を説いたようである。そして、善鸞は、この教えは、親鸞聖人から夜中にひそやかに伝授をうけたもので、これこそ聖人の本意であるといって自説を広めた。多くの念仏者が善鸞に共鳴し、東国の念仏集団は大動揺をきたした。正統念仏者は、善鸞の動きを黙視できず建長七年には対立は激化した。善鸞は、権力者と結託し、正当念仏者の弾圧を要請するに至った。

 親鸞聖人は、その実情を正確に把握していた訳で無く、やがてそれが息子善鸞の策動であることを知るに至り、愕然とした。聖人建長八年の手紙に「いまは親ということあるべからず、子とおもうことおもいきりたり。三宝・神明に申しきりをはりぬ。かなしきことなり。」と、断腸の思いで善鸞と親子の縁を切った。時に聖人八十四歳善鸞五十歳前後