安楽寺 浄土真宗本願寺派 千葉山安楽寺
妙音 千葉山安楽寺機関誌 平成25(2013)年 脇町報恩講版 
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◎御正忌報恩講のご案内

平成二十五(2013)年度報恩講ご案内
 「親鸞聖人七百五十回大遠忌お待ち受け法要」
 この度の報恩講は、来年の親鸞聖人七百五十回大遠忌法要のお待ち受け法要として厳修致します。
 お誘い合わせご参詣下さい。
 来年平成26年5月17、18日新門様をお迎えし、御親修頂きます。
なお 新門様による帰敬式も行われます。
  心を引き締めて、全員参加で勤めましょう。
日時

 
平成二十五(2013)年十二月一日(日)
午後一時開式
正信偈作法
場所
講師
歌唱指導
脇町安楽寺本堂
前住職千葉昭彦
坊守 聡子
 当日は お斎の準備がありますので お早めにお越し下さい

◎懇志進衲多謝
 お陰をもちまして住職継職法要厳修 平成25(2013)年06月30日実施

 第一期工事内陣彩色
 外陣側は谷島子さんのご懇志で美しくなっています。この度は、内陣が美しくなりますお楽しみに。
報恩講が終わり次第かかります。

 恒乘聡子結婚ご挨拶記念品届いてない方はお知らせ下さい
 法要記念品赤本安楽寺勤行集届いてない方はお知らせ下さい
 上記二点は全門徒にお届けしています。届いてない地区があります。お世話人さんはご確認をお願いします。お世話人さんをとおして届けています。

 懇志進納5万円以上に名刺盆贈呈 該当者で届いてない方はお知らせ下さい 個人宛に送っています

◎新門様ご巡教日程決定
  平成26年5月17日(土)・5月18日(日)両日

親鸞聖人750回忌大遠忌法要御親修
17日 午後 帰敬式・夕刻 レセプション
18日 午前 門信徒の集い
    午後 親鸞聖人七百五十回大恩忌法要
いずれも美馬・脇町安楽寺合同行事
会所は、美馬安楽寺、 レセプションは脇町内予定
写真 ご本山親鸞聖人七百五十回大恩忌法要御出座の様子です

今年の報恩講は御巡教のお待ち受け法要として勤めます
大遠忌法要は、50年節目の報恩講です。ご本山・門末あげての大行事として、延々と勤められてきた浄土真宗最要のご法要です。ご本山に参られた方も多数おられますが、自坊で勤める法要は格別です。本山に参れなかった方も、この度のご縁にお出逢い下さい。新門様は6月6日御門主に就任なされます。
 新門様手ずからの帰敬式です。またとないご縁です、この機会に受式して、ご法名をいただき、門徒としての自覚と、お念仏と共に歩む人生のスタートにして頂きたいと存じます。申し込みは3月永代教にて受け付けます。
 受式には、成人10,000円 未成年者5,000円が必要です。

◎懇志進衲について
 法要懇志5万円+事業懇志10万円=1戸前目標15万円でお願いします。  御進納内訳を5万円までは、法要懇志に充当致します。5万円を超えた部分を事業懇志に充当致します。ご出費多端の折から恐縮に存じますが、ご無理の無い所で精一杯のご協力賜りますようお願い申し上げます。

 たとえば、7万円を進納頂いた方は、法要懇志5万円、事業懇志2万円となります。15万円を超えた方は、法要懇志5万円事業懇志10+?万円となります。
ご事情で、5万円に満たない方は、法要懇志進納者として登録致します。
 全門徒結集してこの度の法要を執行致したいと存じています。額の多少にかかわらず、全門徒が懇志進納して、法要円成に向け取り組みたいと存じます。

写真  ○法要懇志登録者は、懇志額を記載しないで氏名報告致します。
 ○法要懇志5万円を超えた事業懇志の進納者は金額を提示致します。
 事業懇志の進納状況を見て、事業を進めて参ります。

 ◎懇志進納については、郵便振替をご利用下さい。
   振替番号01650−8−23620安楽寺護持会
   振替用紙は安楽寺にありますのでご利用下さい。

   郵便局窓口で番号を申し出ていただいても結構です。
   通常払込料金加入者負担でご利用下さい。
   進納者氏名・住所・電話番号 振込金額ご記入下さい。

  10万円を超える場合は、振り込み人の身分証明の提示を求められますので、  進納者と振り込み人が異なる場合は、一番下に振り込み人の氏名を記入して下さい 。
  身分証が無い場合は、10万円以下に分割して振替して下さい。尚、振替払込請求書兼受領書は 領収書に代わるものですので大切に保管して下さい。他に領収書は出していませんのでご注意下さい。

 ご持参いただく場合は、毎月20日お寺の日にお持ち下さい。ご意見・ご要望は、毎月20日お寺の日午後お伺い致しますので、お申し出下さい。 5万円以上進納者に記念品を贈呈します。

◎年回表 平成26(2014)年
平成二十六(2014)年 年回表
一  周忌
三  回忌
七  回忌
十三 回忌
十七 回忌
二十五回忌
三十三回忌
五十 回忌
六十一回忌
百  回忌
平成二十五年
平成二十四年
平成 二十年
平成 十四年
平成  十年
平成  二年
昭和五十七年
昭和 四十年
昭和二十九年
大正 四年

 法事の申し込みは、お早めにお願いします。時代の流れか、土曜法事がふえています。
 繰り出し表をお送りしていますが、書き漏れ、誤書きがあります。
上の御案内でお確かめ下さい。
 尚一周忌・三回忌は繰り出していません。
 繰り出し表は、あくまで御案内です。法事の日取りは各自が、お寺とご相談して決めて下さい。
 法事の申し込みは、お電話でお願いします。
 0883−63−2015まで

◎行く年来る年
12月31日11時半除夜会
正月元旦 0時修正会
ご参詣待っています 仏教婦人会の「おぜんざい」おもてなしが有ります。

お手伝い帳がまわります。ご協力をお願いいたします。
報恩講法要費・本山・教務所賦課金・建物維持費・管理費 経費充当金です。

毎月20日はお寺の日待ってます
◎親鸞聖人御一代 第十六回 親鸞聖人の生涯
○示寂
写真
○聖人の遺言状が残されている
 このいまごぜんのはは (今御前の母) の、たのむかたもなく、そろう (所領) をもちて候はばこそ、ゆずりもし候はめ。せん(善=善信=親鸞)しに候ひなば、くにの人々いとほしうせさせたまうべく候。この文を書く常陸の人々をたのみまゐらせて候へば、申しおきてあわれみあわせたまうべく候ふ。この文をごらんあるべく候ふ。このそくしょうぼう(即生坊)も、すぐべきやうもなきものにて候へば、申しおくべきようも候わず。身のかなわず、わびしう候ことは、ただこのこと、おなじことにて候ふ。ときにこのそくしょうぼうにも申しおかず候ふ。常陸の人々ばかりぞ、このものどもをも、御あわれみ、あわれ候ふべからん。いとほしう、人々あわれみおぼしめすべし。この文にて、人々おなじ御こころに候ふべし。
   あなかしこ、あなかしこ。
  十一月十二日 善信(花押) 常陸のひとびとの御中へ

 今御前の母とは、娘覚信尼のこととおもわれる。最後まで世話をしてくれた、覚信尼・息男即生坊のことが気がかりであったようで、常陸の念仏者に事後を託した遺言状であった。
写真
 聖人は、弘長二年(1262)十一月二十八日午後一時頃九十歳をもって示寂した。「親鸞伝絵」には、聖人弘長二歳壬戌仲冬下旬の候より、いささか不例の気まします。それよりこのかた、口に世事をまじえず、ただ佛恩のふかきことをのぶ。声に余言をあらわさず、もっぱら称名たゆることなし。しこうしておなじき第八日午時頭北面西右脇に臥したまいて、ついに念仏の息たえおわりぬ。時に頽齢九旬にみちたもう

写真  その臨終には、覚信尼、弟尋有、越後から益方の入道、下野高田の顕智、遠江池田の専信もかけつけ、翌二十九日、鳥辺野の南、延仁寺で火葬した

◎親鸞聖人御一代 第十七回 親鸞聖人の生涯 廟堂の建立
○廟堂建立
写真
 写真は、安楽寺が宝暦年間に迎えた絵伝に描かれた廟堂

 二十九日、東山の麓、鳥辺野の南、延仁寺で火葬した。翌三十日に遺骨を拾い、鳥辺野の北、大谷に墳墓をきずき納骨をした。

 臨終の姿を、覚信尼は、母恵信尼に手紙で知らせた。「あのようなご臨終で、お父様は、ほんとうにお浄土にご往生されたのでしょうか」と心中の不審を訴えたようである。聖人はありがたい念仏者であったので、臨終にはさぞ奇瑞なども起こり、尊くめでたい往生を迎えられると思っていた。しかし、何の不思議な事もなく、あるいは、病気で苦しみながら亡くなられたかもしれない。この手紙を見て、恵信尼は、「昨年十二月一日付のお手紙は、同月二十日過ぎに確かに拝見しました。なにはおいても、殿が、お浄土に御往生あそばされましたことは間違いなく、改めてもうすにおよびません。」と書き、ついで聖人が、法然上人のもとで、ねんぶつによって浄土往生のできる道を選ばれたことをしるし、さらに、聖人は観音の化身であることの夢を見たことを書き、「ですから殿のご臨終がどのようであられましても 、お浄土への御往生は間違いないと堅く信じております。」と返事を出している。

 親鸞聖人の墓所は、現在の知恩院の御影堂の東方、山の斜面であったと推定されている。親鸞伝絵によると、聖人の墳墓は、木柵で囲んだ方形の土壇の上に石の笠塔婆を建てただけで、雨露も防ぐ施設もなく簡素なものであった。塔身が長くて、風変わりに見えるが、これは、比叡山「横川様式」とも「良源様式」ともいわれる、独特の墓形である。この形をまねて作られたようである。良源の遺言によると、石の塔婆は四十九日以内に建てよということで、これにしたがったとすると、聖人の塔婆は翌年弘長三年の春に建てられたと考えられる。右上の写真が、現存する源信和尚の墓である。同じ様式の墓が営まれたようである。今は現存しない。

 その翌年恵信尼は、自らの墓の造立を思い立ち、七尺の五重の石塔を発注したことを覚信尼に伝えている。恵信尼公の墓は、新潟県国分寺にある。下の写真 現存する。

写真 写真  晩年の聖人に接した覚信尼や、東国からはるばる墓参にやって来る門弟達にとって、このつつましい墓所は、寂漠の感を催させ、聖人への追慕を一層深くさせた。ここに聖人の墓所を整備顕彰する計画がたてられ、聖人が示寂されて、十年後の文久九年(一二七二)に、大谷の西、吉水の北にある覚信尼の住む地にお堂を建て、遺骨を茲に移した。このお堂を大谷本廟と称した。廟堂は、関東の門弟によって建てられたが、土地は覚信尼のものであったが、これを廟堂に寄進した。そして、覚信尼自らが廟堂の守護に当たり、子孫が門弟の承認を得て守護に(後に留守職)に就任することになる。廟堂に関東の念仏者から懇志が贈られてきた。廟堂では毎月二十七日に報恩の念仏会を修した。三代覚如の作った「善信聖人絵」には、小規模だが、整ったお堂に石塔が据えられている。堂内に聖人の木造を安置するのは、永仁三年(一二九五)の頃のようである。