安楽寺 浄土真宗本願寺派 千葉山安楽寺
妙音 千葉山安楽寺機関誌 平成25(2013)年 妙音25報恩講版 
 目 次
本 願 寺
徳島真宗青年会
安楽寺Home

安楽寺機関誌
美馬脇町2015夏版
大遠忌法要特集
大遠忌法要御案内
脇町2014春版
脇町2013報恩講版
美馬2013報恩講版
美馬2013春版
脇町2013夏版
脇町2013特別版四月
脇町2013春版
美馬2012報恩講版 脇町2012報恩講版
美馬2012秋版
美馬2012夏版
美馬2012春版
脇町2012春版
美馬2011報恩講版
脇町2011報恩講版
美馬2011秋版
美馬2011夏版
脇町2011夏版
美馬2011春版
脇町2011春版
2010年末ご挨拶
美馬2010報恩講版
脇町2010報恩講版
美馬2010秋版
美馬2010夏版
脇町2010夏版
美馬2010春版
脇町2010春版
2009版
2008版
2007版
2006版
2005版
安楽寺Home
◎御正忌報恩講のご案内 於安楽寺
御正忌報恩講ご案内
 親鸞聖人七百五十回大遠忌お待ち受け法要
平成二十五(2013)年十二月二十一日(土)



 
逮夜法要   午後一時半本堂始
お斎     午後五時半客殿始
お内佛報恩講 午後七時客殿始
大逮夜法要  午後七時半本堂始
平成二十五(2013)年十二月二十二日(日)

 
お晨朝    午前八時本堂始
稚児講習   午前一〇時本堂集合
昼食の用意をしていますお早めに
報恩講お満座法要 午後一時始
  所 安楽寺本堂
  講師 福間義朝師
  (本願寺派布教使備後教区教専寺住職)
平成二十六(2014)年五月十七日(土)・十八日(日)




 
新門様御巡教
親鸞聖人七百五十回大遠忌法要厳修
 五月十七日 新門様による帰敬式(ききょうしき)があります

◎年回表 平成26(2014)年 法要 ご案内
平成二十六(2014)年 年回法要
ご案内
一  周忌
三  回忌
七  回忌
十三 回忌
十七 回忌
二十五回忌
三十三回忌
五十 回忌
六十一回忌
百  回忌
平成二十五年
平成二十四年
平成 二十年
平成 十四年
平成  十年
平成  二年
昭和五十七年
昭和 四十年
昭和二十九年
大正 四年

 法事の申し込みは、お早めにお願いします。時代の流れか、土曜法事がふえています。
 繰り出し表をお送りしていますが、書き漏れ、誤書きがあります。
上の御案内でお確かめ下さい。
 尚一周忌・三回忌は繰り出していません。
 繰り出し表は、あくまで御案内です。法事の日取りは各自が、お寺とご相談して決めて下さい。
 法事の申し込みは、お電話でお願いします。
 0883−63−2015まで

◎お稚児さん募集 報恩講に出仕します
写真
 12月22日(日)午前10時  美馬町安楽寺本堂に集合
  対象小学生男女です  小学生男女の児童であればどなたでも参加できます
 費用は一名1000円  申込は12月18日まで

 12月22日(日)に美馬安楽寺報恩講にてお稚児さんが出仕します
 午前10時までに美馬町安楽寺本堂に集合して下さい  参加費は1名あたり1000円です 衣装 昼食 参加記念品代 込みです
 持参品は白靴下
せいてん・念珠(ない人には、当日お渡しします)
 お申込は12月18日までに、安楽寺0883-63-2015に電話で申し込んでください。

 阿弥陀様の智慧と慈悲をいただいて みんなが仲良く幸せになれますように お稚児さんにご出仕いたければと思います
 特に 今年ご家族がお浄土で仏様になられた方がおられるお宅の方は、ご奉仕にご出勤(参加)していただければと思います 浄土でお参りを楽しく待っておられるとことでしょう

◎懇志進衲について
 法要懇志5万円+事業懇志10万円=1戸前目標15万円でお願いします。  御進納内訳を5万円までは、法要懇志に充当致します。5万円を超えた部分を事業懇志に充当致します。ご出費多端の折から恐縮に存じますが、ご無理の無い所で精一杯のご協力賜りますようお願い申し上げます。

 たとえば、7万円を進納頂いた方は、法要懇志5万円、事業懇志2万円となります。15万円を超えた方は、法要懇志5万円事業懇志10+?万円となります。
ご事情で、5万円に満たない方は、法要懇志進納者として登録致します。
 全門徒結集してこの度の法要を執行致したいと存じています。額の多少にかかわらず、全門徒が懇志進納して、法要円成に向け取り組みたいと存じます。

写真  ○法要懇志登録者は、懇志額を記載しないで氏名報告致します。
 ○法要懇志5万円を超えた事業懇志の進納者は金額を提示致します。
 事業懇志の進納状況を見て、事業を進めて参ります。

 ◎懇志進納については、郵便振替をご利用下さい。
   振替番号01650−8−23620安楽寺護持会
   振替用紙は安楽寺にありますのでご利用下さい。

   郵便局窓口で番号を申し出ていただいても結構です。
   通常払込料金加入者負担でご利用下さい。
   進納者氏名・住所・電話番号 振込金額ご記入下さい。

  10万円を超える場合は、振り込み人の身分証明の提示を求められますので、  進納者と振り込み人が異なる場合は、一番下に振り込み人の氏名を記入して下さい 。
  身分証が無い場合は、10万円以下に分割して振替して下さい。尚、振替払込請求書兼受領書は 領収書に代わるものですので大切に保管して下さい。他に領収書は出していませんのでご注意下さい。

  ご持参いただく場合は、安楽寺までお申し出下さい。

写真  5万円以上懇志進納者に名刺盆を記念品として贈呈しています。

 副住職結婚にさいして、ごあいさつの記念品(香盒・お香セット)を全御門徒にお世話人をとおしてお届けしています。併せて、住職継職法要記念品(安楽寺門徒勤行集)もお届けしています。 届いていない方は、お申し出下さい。

◎聡子さん得度 ミニコンサート
写真 写真

 聡子さんは、十月に本山で得度されました。輪袈裟は、常楽臺からお祝いに贈られた物です。
 下は、彼岸会ミニコンサートの様子です。

◎行く年来る年
写真

 12月31日11時半 除夜会
 行く年来る年 竹灯籠点火

 正月元旦0時 修正会 ご参詣を待っています

なお
 12月29日に竹灯籠作業 朝8時半赤門前集合 お手伝いをお願いします。

◎住職継職法要に伴う記念事業
住職継職法要は無事終えることが出来ました。
記念事業は
  1. 浄化槽撤去・消火栓設置・下水直結工事完了
  2. 本山法要懇志完納
  3. 練り塀修復完了
  4. 書院屋根葺き替え工事完了
  5. 本堂向拝階段欅板一枚物に張り替え完了
  6. 鐘楼解体修理・屋根葺き替え工事中
  7. 継職法要記念品・感謝状贈呈
  8. 本願寺本教行信証複製物購入済み
  9. 内陣修理
  10.   巻き障子塗り替え・  内敷・水引新調・  釣り灯籠コーティング・  五具足宣徳焼き付け修理・  金香炉・土香炉新調・  必要な作業実施中
  11. 器具メンテナンス 電気設備等修理新調
  12. 前住職乘驫G像本願寺からご下付
懇志進納額に併せて、順次工事を進めています。

◎記念事業の内 鐘楼解体修理・屋根葺き替え工事中
 元の屋根はがやを野地板代わりに編んだものを使い、上に大量の土をのせ、瓦の本葺き、棟は箱棟、唐破風付き、軒周りは扇垂木二重軒、四本柱は曲線を持たせた優美な作り。踏み石は砂岩を加工2個痛みが激しく新調。機材は欅一式、傷んだものは、元のままに加工。元あった姿に蘇ります。岩倉西岡澄明棟梁の力作になります。

 鐘楼は国登録文化財に指定されています。元の機材を出来るだけ用いての修理になります。完全解体修理です。見れば結構痛んでいます。元あったものを元通りに加工します。
 屋根瓦も役物は焼き直して使用します。屋根の葺き替えは浪越さんです。 そりを合わすのは難事業です。
 風格がある鐘楼です。少し東に傾いています。12月4日の工事進捗状況です。 写真 写真

◎親鸞聖人御一代 第十七回 親鸞聖人の生涯 廟堂の建立
○廟堂建立
写真
 写真は、安楽寺が宝暦年間に迎えた絵伝に描かれた廟堂

 二十九日、東山の麓、鳥辺野の南、延仁寺で火葬した。翌三十日に遺骨を拾い、鳥辺野の北、大谷に墳墓をきずき納骨をした。

 臨終の姿を、覚信尼は、母恵信尼に手紙で知らせた。「あのようなご臨終で、お父様は、ほんとうにお浄土にご往生されたのでしょうか」と心中の不審を訴えたようである。聖人はありがたい念仏者であったので、臨終にはさぞ奇瑞なども起こり、尊くめでたい往生を迎えられると思っていた。しかし、何の不思議な事もなく、あるいは、病気で苦しみながら亡くなられたかもしれない。この手紙を見て、恵信尼は、「昨年十二月一日付のお手紙は、同月二十日過ぎに確かに拝見しました。なにはおいても、殿が、お浄土に御往生あそばされましたことは間違いなく、改めてもうすにおよびません。」と書き、ついで聖人が、法然上人のもとで、ねんぶつによって浄土往生のできる道を選ばれたことをしるし、さらに、聖人は観音の化身であることの夢を見たことを書き、「ですから殿のご臨終がどのようであられましても 、お浄土への御往生は間違いないと堅く信じております。」と返事を出している。

 親鸞聖人の墓所は、現在の知恩院の御影堂の東方、山の斜面であったと推定されている。親鸞伝絵によると、聖人の墳墓は、木柵で囲んだ方形の土壇の上に石の笠塔婆を建てただけで、雨露も防ぐ施設もなく簡素なものであった。塔身が長くて、風変わりに見えるが、これは、比叡山「横川様式」とも「良源様式」ともいわれる、独特の墓形である。この形をまねて作られたようである。良源の遺言によると、石の塔婆は四十九日以内に建てよということで、これにしたがったとすると、聖人の塔婆は翌年弘長三年の春に建てられたと考えられる。右上の写真が、現存する源信和尚の墓である。同じ様式の墓が営まれたようである。今は現存しない。

 その翌年恵信尼は、自らの墓の造立を思い立ち、七尺の五重の石塔を発注したことを覚信尼に伝えている。恵信尼公の墓は、新潟県国分寺にある。下の写真 現存する。

写真 写真  晩年の聖人に接した覚信尼や、東国からはるばる墓参にやって来る門弟達にとって、このつつましい墓所は、寂漠の感を催させ、聖人への追慕を一層深くさせた。ここに聖人の墓所を整備顕彰する計画がたてられ、聖人が示寂されて、十年後の文久九年(一二七二)に、大谷の西、吉水の北にある覚信尼の住む地にお堂を建て、遺骨を茲に移した。このお堂を大谷本廟と称した。廟堂は、関東の門弟によって建てられたが、土地は覚信尼のものであったが、これを廟堂に寄進した。そして、覚信尼自らが廟堂の守護に当たり、子孫が門弟の承認を得て守護に(後に留守職)に就任することになる。廟堂に関東の念仏者から懇志が贈られてきた。廟堂では毎月二十七日に報恩の念仏会を修した。三代覚如の作った「善信聖人絵」には、小規模だが、整ったお堂に石塔が据えられている。堂内に聖人の木造を安置するのは、永仁三年(一二九五)の頃のようである。