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2000(平成12)年4月16日(火)
阿波・安楽寺の「蓮如上人500回遠忌法要」をたずねて

 2000(平成12)年4月16日(日)、真宗史の学者で龍谷大学元学長・千葉乗隆先生の ご自坊である安楽寺(徳島県美馬郡美馬町)で「蓮如上人500回遠忌法要」が修行されました。
  千葉先生によれば、安楽寺は、蓮如上人の時代に本願寺に帰参した寺とのことで、先生は一昨年から 「遠忌法要はそのご縁を偲んで勤めます」とおっしゃっていたこともあり、参拝するご縁をいただきました。

・法要行事の様子

<参考資料>
・安楽寺の創建と本願寺への帰参

・法楽狂言「鶯(うぐいす)」について


● 法要行事の様子 ●

 当日朝、花曇りのなか、徳島駅からJR徳島線で西へ約50km、各駅停車で約1時間半、 貞光駅へと向かいました。駅からタクシーで吉野川に架かる美馬橋を渡ると、すぐに安楽寺の山門です。

 安楽寺は近在の人々から「あかもんでら」と呼ばれているとのことですが、それは山門 (左写真)が丹塗り(にぬり=青丹よしの「丹(に)」です)で赤いためだそうで、徳島では 「阿波の五大門」のひとつとされるほど有名とのことでした。

 境内にはいると、本堂内はすでに約800人のご同行で満堂となっていました。

 午後1時、徳島雅楽会の奏楽員による雅楽を先頭に縁儀が始まりました。そして法要。 千葉先生による「表白」は、安楽寺の由来、また同寺が四国の浄土真宗伝道の一大拠点だったことなど、 浄土真宗の歴史を物語る内容で、なぜ徳島の山間の寺院にかくも多くの方々が参拝されるのか納得 した次第です。 徳島真宗青年会が協力して行われた法要もたいへん華やかなものでしたが、 心に残ったのは次の二つの記念行事でした。

 

 ひとつは、作家の五木寛之さんの講演。五木さんはかつて休筆中に龍谷大学の聴講生 として学ばれましたが、このときの指導教授が千葉先生でした。五木さんは「千葉先生に出会わなければ、 私自身このたびの蓮如上人とのご縁に巡り合わなかったかもしれません」と本山を初め全国各地での 「蓮如上人500遠忌」を締めくくるような深い思いを、予定時間を30分もオーバーする熱弁で話されました。
 もうひとつの行事が「法楽狂言」でした。蓮如上人67歳のとき、山科本願寺で上演され、 蓮如上人がおおいに気に入られたと記録に残っている和泉流狂言「鴬」が、安楽寺の立派な能舞台で、 ふたりの狂言師(石田幸雄さん・深田博治さん)によって演じられました。この狂言は和泉流でも めったに演じられないものとのことでこれも貴重なご縁でした。

 

千葉山安楽寺
蓮如上人500回大遠忌法要式次第

2000(平成12)年4月16日(日)
於 千葉山安楽寺 本堂

正午

開場

午後12時50分

諸僧整列入場縁儀

午後1時

法要開始
雅楽演奏
住職挨拶
『奉讃蓮如上人作法』

午後1時45分

五木寛之氏講演

午後4時00分

狂言 「鶯」

続いて

真宗青年会長謝辞

午後5時    

終了

取材・本文/志茂田誠諦(編集スタッフ)
  取材協力ありがとうございました。 △TOP


● 安楽寺の創建と本願寺への帰参 ●

 安楽寺の創立年時は明らかではありませんが、もとは妙音院と称し天台宗に属していたと いわれます。その天台宗時代のなごりとして、境内の西北隅に天台宗寺院の守護神「山王権現」の 小祠があります。
 13世紀に入って、親鸞聖人によって浄土真宗が開かれると、安楽寺は 天台宗から浄土真宗に改宗しました。寺伝には正元元年(1259)のことと伝えられております。 上総(千葉県)の守護・千葉常隆の孫、彦太郎の時代のことです。
 当時の関東は親鸞聖人が 多年にわたり教化され、浄土真宗が盛んな地でした。宝治元年(1247)、彦太郎の女婿の三浦泰村が、 幕府執権北条時頼と争い討たれたとき、彦太郎も時頼に攻められます。彦太郎は討ち手をのがれ、 この地の真宗門徒の指導者であった真仏上人(親鸞聖人の高弟)のもとで出家、阿波(徳島県) の守護であった縁族(大おじ広常の女婿)の小笠原長清を頼って阿波に来て、安楽寺に入ります。
  その後、長清の子長房から梵鐘と寺領100貫文を寄進され、寺領はその後も、阿波の領主となった 細川・三好・蜂須賀の各大名から安堵されたと伝えられています。
 彦太郎の縁から安楽寺は もともと仏光寺(浄土真宗の一派)に属していましたが、15世紀、蓮如上人の時代に、本願寺に 帰参しました。
 永正12年(1515)に火災が起こり、伽藍・法宝物等がことごとく焼失し、 寺はしばらく瀬詰村(徳島県麻植郡山川町/瀬詰安楽寺)に移り、その後、 讃岐財田(香川県三豊郡財田町)の宝法寺に入りました。
 この後、近在のご門徒方の支援を受け、 現在地に安楽寺が再建され現在に至っています。 △TOP

● 法楽狂言「鶯(うぐいす)」について ●

和泉流狂言師 石田幸雄・深田博治

 蓮如上人の子、實悟上人の記録には、蓮如上人が67歳のときのこと、文明13年(1481)6月18日 第7代存如上人25回忌法要が勤まり、この折に山科本願寺において、4日間にわたり能楽が催されたと 記されています。
  本願寺において法要・法会の折に能が演じられたのは、この時が最初のようです。
  この時の2日目に演じられた狂言「鶯の鳥さし」に、蓮如上人はおおいに感心し気に入られて、 3日目にもまたこれを所望されたと伝えられています。
 色くろ四郎二郎演じる鳥さし狂言は、 現在は曲名を「鶯」として演じられ、集(あつめ)狂言・雑(ざつ)狂言に分類され、和泉流の持ち 狂言となっています。
  この狂言は、鶯を捕らえようと懸命になっている男のところに、ある者が来て、男に対して、 着ている衣装がほしいと言います。男は鳥さしに熱中していたので、言われるままに着ているものを 脱ぎ捨て、腰に差している太刀・脇差しまでも皆渡してしまい、鳥も手に入れられずに終わるという 狂言ですが、これを見た蓮如上人は、「鳥を捕らえようと、ひたすらそのことに心をかけ、他のことは 何もおぼえず知らずという姿勢は、まことに殊勝である。仏法においても、この鳥さしの男のように、 念を入れて熱心に聴聞することが大切である」と言われたと伝えられています。

本文/志茂田誠諦(編集スタッフ)

※参考 「安楽寺史料」(本願寺史料研究所所蔵)
「安楽寺 蓮如上人五百回遠忌法要のしおり」

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[千葉山安楽寺・蓮如上人500回遠忌法要2000.4.16]

<主催>千葉山安楽寺 安楽寺脇町 徳島真宗青年会
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<写真・編集>宗務情報システムセンター

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