仏教入門 おしえて千葉先生 対談第六回
本願寺広島別院・安芸教区教務所 機関誌「見真」2007/09号10号合併号
千葉乗隆 千葉山安楽寺 浄土真宗本願寺派

◎本願寺史研究の第一人者に聞く 対談第六回
  世のなか安穏なれ
千葉乗隆イラスト
明田:
 「世のなか安穏なれ」って、お寺でよく見かけます。安穏″ってお気軽な雰囲気ですね?
千葉先生:
 親鸞聖人750回大遠忌法要のスローガンですね。聖人がお弟子の性信房に宛てたお手紙にある言葉です。お気軽な感じを受けたようですが、厳しいお言葉ですよ。

明田:
 ??。詳しく教えてください。
千葉先生:
 お念仏の教えの間違った解釈は昔からありました。多くは、「悪いことをしても、念仏をすれば帳消しになる」という考えです。親鸞聖人は晩年、関東から京都に移られます。聖人ご不在の関東にも、こうした異端による混乱がありました。解決のためにご子息の善鸞さまを派遣されますが、かえつて深刻な事態になります。

明田:
 なぜですか?
千葉先生:
 善鸞さまが、「念仏するだけでなく、悪い行いを止めて良いことをしなければならない」という別の異端を説くのです。

明田:
 僕には正しい意見に聞こえますが?
千葉先生:
 善鸞さまの考えは、阿弥陀さまにお任せしていくお念仏の教えとは異質な面がありました。念仏ではもの足りない、良いことをして念仏の助けにしようという考えです。そして自分の正当性を強調するあまり、父・親鸞聖人は、私だけに本当の教えをコッソリ伝授したと言いだします。また正当な門弟でも意見の合わない者は、罪を恐れず悪行を重ねる者だと鎌倉幕府に訴え出たのです。

明田:
 親鸞聖人にとって思いもよらぬ展開ですね。
千葉先生:
 はい。当時の関東は混乱を極めました。そこで命懸けで奔走し、解決したのがお弟子の性信房です。一人ですべての責任を背負い、理不尽な非難は家族にまで及んだようです。この性信房へのねぎらいのお手紙に綴られたのが、「念仏を心に入れて、世のなかが安らかであるように。そして、仏法がひろまるように」との一節です。聖人はこの一件で、涙ながらに善鸞さまとの親子の縁を切られました。

明田:
親子の縁を切る。 厳しい〜。
千葉先生:
 親鸞聖人は、間違った教えを人々に説くことを許せなかった。親子の間でもご信心のことはキチッと処理なさったのです。

明田:
 「世のなか安穏なれ」の言葉をどう思われますか?
千葉先生:
 親鸞聖人のご家族も、平凡な面もあって、善鸞さまのような行動をする者もありました。だから、家族の問題など聖人も私たちと同じようにご苦労をされ、苦楽を歩まれたご家族でした。正しいおみ法を伝えるため世間の非難に負けずに尽力された性信房への言葉は、そのまま親鸞聖人ご自身への言葉だと思います。ご子息への厳しさの裏側にある愛との間で、何ともし難いジレンマを抱え、こんな辛いことはあってはならない、そのためにも本当の仏法が広まり、心安らかな世界を願わずにおれない心情なのです。

明田:
お気軽どころか、最後まで苦しみ悩んだ、心の叫びですね。

「お話し」: 千葉 乗隆:本願寺史料研究所所長 龍谷大学名誉教授
「聞き手」: 明田 周士:安芸教区機関誌『見真』編集部
「イラスト提供」: 竹林地 俊人