恵信尼消息
(連載第10回 仏教婦人会総連盟 めぐみ 第191号 2005/09 秋)
千葉 乗隆
安楽寺 浄土真宗本願寺派 千葉山安楽寺

◎恵信尼消息 第八通 その一
  第八通は第10 11回の二回に亘り連載します

現代語訳 解説 本文(原文) 読者の声
○【現代語訳】 恵信尼消息 第八通 その一

   京都にお手紙をとどけてくださるというこ とで、うれしくて、おたよりをさしあげます。

 さて、私は今年まで、とても生きながらえ ることはできないだろうと思っていましたが、 とうとう八十七歳とやらになりました。寅の 年の生まれですから八十七か八十八になりま す。今はもうお浄土へ往生させていただく時 を待っているばかりです。

 年齢は恐ろしいほど積み重ねましたが、 をすることもなく、つばを吐くこともありま せん。腰や膝をさすってもらうことも、今日 まではありません。ただ犬のように動きまわ っておりますけれども、今年になってからは、 物忘れがひどく、頭の働きが鈍くなりました。

 それにしても、昨年から世の中にまことに 恐ろしいことが多く起こっております。

 また「すかい」(人名か、地名か) の者の便り に、織物をおくっていただき、お礼の申しあ げようもございません。いまは往生する日を 待つ身ですから、くださった衣類が、最後の いただきものになることと思われます。いま までに、あなたからいただいた綾織りの小袖 を、死出の装束にしようと思って、大切に持 っております。まことにうれしいことでござ います。着物の表地も、まだ持っております。  また、お子さまたちのこと、まことになつ かしく、ご様子をうけたまわりたく存じます。 上のお子さまたちのことも、ほんとうにうけ たまわりたく思います。どうか、生きている 間にいま一度、私のほうからお目にかかりに 行くか、あなたさまが私に会いにきてくださ ることがございましょうか。それは、とても できないことでございましょう。私は、いま すぐにも極楽にまいらせていただく身でござ います。極楽へまいれば、何事も明らかにご らんになれるはずでございますから、あなた さまも、必ずお念仏を申されて、極楽でお目 にかかりましょう。そして極楽でお会いでき ましたならば、何事もはっきりすることでご ざいましょう。

 また、このたよりは、近くに住んでいる 「みこ」(巫女か)のとか申す者に頼みました。  燈火がたいへん暗くて、くわしく書くこと ができません。

 また、どうかお心にかけられて、確かなた よりがございますときに、綿をすこしお送り ください。このようなお願いをするのも、こ れが最後だと思います。

 「ゑもん入道」の使いは、確実で信頼でき ます。その使いがこちらにくるということを ききましたが、しかし、これはまだはっきり したことではございません。
○〔解説〕 恵信尼消息 第八通 その一

恵信尼消息第八通 (西本願寺蔵)
恵信尼消息第八通 (西本願寺蔵)

 この第八通のお手紙は、端裏書の下部が破 損し、「わかさ殿」という文字だけが読み取れ ます。たぶん「わかさ殿申させたまへ」とし るされていたと思われます。侍女の「わかさ 殿」を通じて覚信尼さまにお手紙をおとどけ するという形式をとっています。

 このお手紙の発信された年について、文中 にいったん八十七やらんとしるされたあと、 寅の年の生まれであるが、いまは八十七歳か 八十八歳になったのか、はっきりしないを しるしておられます。

 恵信尼さまはご自身で寅の年に生まれたと しるしておられ、それは寿永元年(一一八二) 壬寅の年に当ります。

 このお手紙の前に発信された第七通は、恵 信尼さまが八十六歳の文永四年(一二六七)九 月七日付になつています。

 第七通と第八通は共通する内容がみられま すので、この第八通は八十七歳の文永五年 (一二六八)三月十二日に書かれたものと思わ れます。

 年齢のことについて述べられたあと、ご自 身の健康についてしるされ、年は寄ったが、 咳や唾も出ず、腰や膝をさすってもらうこと もなく、身体は元気で、まるで犬のように動 きまわっでいますとありますので、前年九月 のお手紙にしるされた、前々年の八月から一 年ほど続いた下痢の症状はよくなられたよう です。しかし、今年になつてから物忘れがひ どくなられたということです。

   ○  ○  ○

 ついで「それにしても、昨年(文永四年 一二六七)か ら、世の中にまことに恐ろしいことが多く起 こっております」としるされているのは、天 災地変なのか、社会的現象なのか、具体的に どのような出来事が発生したのか判明しませ ん。しかし、恵信尼さまをはじめ越後の人た ちにショックを与える事が起こったようです

   ○  ○  ○
 京都に書状や品物を運ぶ人について、この お手紙に「すかい(「すりい」と読む説もある)の ものの便り」としるし、このすこし後の文中 に、「近くに住んでいる巫女の甥の便」とか、 また「ゑもん入道の便り」という言葉がみえ ます。このことから推測すると「すかい」は 人の名であると思われますが、地名ではなか ろうかという説もあります。いずれともはっ きりいたしません。

 ともかくこの「すかい」のものの便に託し て、覚信尼さまから恵信尼さまに、絹織りの 衣類が贈られ、恵信尼さまは死を待つ身にと って、最後のいただきものになると感謝して おられます。そして、今まで贈っていただい た絹の綾織り小袖を死出の装束にしたいとしるしておられます。

   ○  ○  ○  こうして死を間近に感じておられる恵信尼 さまにとって、死は闇黒の世界に行くのでは なく、明るい極楽浄土に行くことであること を確信しておられます。その極楽浄土に生ま れることは、阿弥陀さまのお救いを信じてお 念仏を申させていただくことによるという親 鸞聖人の教えを固く信じておられることがう かがい知られます。

 そして恵信尼さまは覚信尼さまに、「あな たも、必ずお念仏を申されて、極楽でお目に かかりましょう」としるされ、極楽で再会し てこの世で起こったさまざまの出来事を語り 合うことを楽しみにされていることを述べて おられます。
○【本文】 恵信尼消息 第八通 その一 原文

 「わかさ殿

 便りをよろこびて申し候ふ。

 さては、今年まであるべしと思はず候ひつれども、今年は八十七やらんになり候ふ。寅の年のものにて候へば、八十七やらん八やらんになり候へば、いまは時日を待ちてこそ候へども、年こそおそろしくなりて候へども、しはぶくこと候はねば、唾など吐くこと候はず。腰・膝打たすると申すことも当時までは候はず。ただ犬のやうにてこそ候へども、今年になり候へば、あまりにものわすれをし候ひて、耄れたるやうにこそ候へ。

 さても去年よりは、よにおそろしきことどもおほく候ふなり。

 またすかいのものの便りに、綾の衣賜びて候ひしこと、申すばかりなくおぼえ候ふ。いまは時日を待ちて居て候へば、これをや最後にて候はんずらんとのみこそおぼえ候へ。当時までもそれより賜びて候ひし綾の小袖をこそ、最後のときのと思ひてもちて候へ。よにうれしくおぼえ候ふ。衣の表もいまだもちて候ふなり。

 また公達のこと、よにゆかしくうけたまはりたく候ふなり。上の公達ことも、よにうけたまはりたくおぼえ候ふ。あはれ、この世にていま一度みまゐらせ、またみえまゐらすること候ふべき。わが身は極楽へただいまにまゐり候はんずれ。なにごともくらから、みそなはしまゐらすべく候へば、かまへて御念仏申させたまひて、極楽へまゐりあはせたまふべし。なほなほ極楽へまゐりあひまゐらせ候はんずれば、なにごともくらからずこそ候はんずれ。

 またこの便は、これにちかく候ふみこのとかやと申すものの便に申し侯ふなり。あまりにくらく候ひてこまかならず候ふ。またかまへてたしかならん便りには、綿すこし賜び候へ。をはりに候ふ、ゑもん入道の便りぞ、たしかの便りにて候ふべき。それもこのところにまゐることの候ふべきやらんときき候へども、いまだ披露せぬことにて候ふなり。(「註釈版聖典823〜825頁」 以下連載第11回へ)
○【読者の声】 191号(2005 秋)によせて  (192号掲載)

京都・永田和枝 様:
 ありがたく拝読させてもらっています。

大阪・福井育子 様:
 恵信尼さまのお手紙を毎回、どれだけ読み取れるかと楽しみにしています。今回は後半部分の「また公達のこと・・・なにごともくらかずこそ候はんずれ」また必ずあえるという喜び。本当にありがたい事、うれしい事と涙が出てしまいました。