安楽寺 浄土真宗本願寺派 千葉山安楽寺
作家 五木寛之氏が「NHKラジオ深夜便」にて千葉乗隆を語る
「ラジオ深夜便」2009/08号 2009/09号 および2010/08号
  作家 五木寛之氏が「NHKラジオ深夜便」の 「わが人生の歌語り(49)」 及び「同じく(50)」にて前住職千葉乗隆との出会いを語っておられます 「聞き手 須磨佳津江さん」
  また インタービュー スペシャル「わたしと"人間・親鸞"」 小説に込めた思い において同様に前住職千葉乗隆との出会いを語っておられます 「聞き手 渡辺幹雄さん」

 我が人生の歌語り(49)  我が人生の歌語り(50)  わたしと"人間・親鸞"

◎我が人生の歌語り(49) 2009/04/26放送 聞き手 須磨佳津江さん
○今回は、二度目の休筆に入られる1981(昭和56)年頃のお話しをうかがいます。.........
 なぜ仏教の勉強をされたのですか。

○五木.....
 ずっと以前から仏教に対しては関心があったんです。作家生活を始めた金沢には本願寺中興の祖・蓮如さんのお墓もあって、身近な存在でしたし、金沢大学の図書館に通っては、浄土真宗の開祖・親鸞や宗教学者で哲学者の清沢満之暁烏 敏などの思想をかじっていました。いつか仏教の流れを基礎から勉強してみたいという気持ちはあったんです。

○.....
 五十歳の学生生活はいかがでしたか。

○五木.....
 自分の子供のような若い人たちと一緒に授業を受けましたが、学ぶことがこんなに楽しいことかと、しみじみと実感しました。教室のいちばん前に座って、千葉乗隆先生(1921から2008 真宗史研究の第一人者。後に龍谷大学学長も務めた)の授業を受けたあの数年間は、自分の人生の中でいちばん贅沢で幸せな時期だったと思います。
◎我が人生の歌語り(50) 2009/05/31放送 聞き手 須磨佳津江さん
○.....
 五木さんは1981(昭和56)年から二度目の執筆休止に入り、京都の大学の聴講生となって勉強を続けました。きょうは82年ごろのお話しをうかがいます。

○五木.....
 なぜ龍谷大学に入ったかというのも不思議なご縁なんですけれども、後から見るとすべてが結びついていたという感じがするのです。私は九州の出身ですから、かって九州南部の薩摩藩とか人吉藩、つまり鹿児島県から宮崎県や熊本県の一部で、「かくれ念仏」の信徒たちが何百年もの間、弾圧の中で生き続けてきたことに、非常に関心があったのです。戦後、この「かくれ念仏」「かやかべ教」など九州に根付いた土俗的な信仰の流れを学問的にきちんとフィールドワークされ、立派なリポートを出されている千葉乗隆先生が講義をなさっていたことも、龍谷大学の聴講生となった理由です。

 教室にはいちばん早く行って、千葉先生がスリッパを履いてペタペタと廊下をやってくるのを今や遅しと待ち構える。そういう感激で授業が受けられるのが本当にうれしかったですね。前にも言いましたが、五十歳前後に二年間ぐらい、国内留学のような形で好きな大学で勉強していいという有給休暇の制度があれば、どんなにいいだろうと思います。
◎わたしと"人間・親鸞" (2010/06/13・14放送) 聞き手 渡辺幹雄さん
○.....
 小説に込めた思い
 2008年から一年間、新聞に連載した「親鸞(上・下)」(講談社)が上梓され、ベストセラーとなっています。
 京都で仏教を学び直す ことについて

○五木.....
 この京都行きにもご縁があって、当時私が親しくさせていただいていたお寺が浄土真宗で、ご住職が龍谷大学出身の方でした。薩摩藩に厳しく禁じられた中、何百年も隠れて信仰を守ってきた「隠れ念仏」に私が興味を抱いていることを知ったそのご住職から、龍谷大学で「隠れ念仏」研究の第一人者・千葉乗隆先生が授業されているから聴講生になれば、と教わったのです。そこから、系統だった知識としての仏教や日本の浄土宗に関する勉強が始まったわけです。

 京都へ行き、千葉先生の授業を受け、蓮如のことを書いたのもすべて"他力の風″が吹いてのこと。そして、蓮如という広くて明るい大通りをずっと歩いているうちに、いつの間にか親鸞という深くて鬱蒼とした森の前まで来てしまった。中は迷路のように複雑な道が入り組んでいて、いま私は入り口で佇んだまま、入るのをためらっているというのが正直な思いです。.....