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◎蓮如上人と御坊1
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1、御坊の語意
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A、 僧房、または寺院などをいう尊敬語
B、 僧侶に対する尊敬語
C、 本願寺の掛所(懸所・兼帯所・別院)
当今は御本山を除いて諸国の兼帯所の別院をば御坊と称す。
また兼帯所と名づけて御坊と称せざるもあり。(『考信録』)
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2、江戸時代の西本願寺の御坊
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(『諸国御坊・御兼帯所・御抱寺記』)
「山城」 (京都府) 大谷本廟・西山・山科・伏見。
「大和」 (奈良県) 田原本・今井・畝火・御所・高田。
「河内」 (大阪府) 守口・萱振。
「和泉」 (大阪府) 尾崎。
「摂津」 (大阪府) 津村・堺。
「尾張」 (愛知県) 名古屋。
「三河」 (愛知県) 平地・桑谷。
「武蔵」 (東京都) 築地。
「近江」 (滋賀県) 八幡・近松。
「美濃」 (岐阜県) 岐阜・黒野。
「越前」 (福井県) 福井・吉崎。
「加賀」 (石川県) 金沢。
「越後」 (新潟県) 柿崎。
「佐渡」 (新潟県) 鮎川。
「紀伊」 (和歌山県)鷺森・岡崎・日高・黒江・冷水。
「讃岐」 (香川県) 塩屋。
(以上が御坊33ヵ寺、外に兼帯所36ヵ寺・御抱寺16ヵ寺)
○江戸時代に御坊は触頭として機能した。
○本末制と触頭制
本願寺−−鎌倉最宝寺(近江本行寺)−−備後光照寺−−同照林坊
−−安芸高林坊−−同覚善寺−−同善立寺
本願寺−−京都興正寺−−阿波安楽寺−−西教寺−−林照寺
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3、蓮如上人時代の御坊1
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A、 近松御坊(滋賀県大津市南町)
文明元年(1469)に天台宗寺門の三井寺園城寺境内に建立。顕証寺と称す。
B、 吉崎御坊(福井県坂井郡金津町)
文明3年(1471)坊舎を建立。文明7年(1475)蓮如上人の退去後、
富樫政親の軍によって破却、永正3年(1506)朝倉貞景の攻撃を受けた。
門徒は道場を建て、跡地を護っていた。本願寺が東西に分派した後は、山上の地は両派で共同管理し、山麓にそれぞれ別院を設けた。
C、 富田(とんだ)御坊(大阪府高槻市富田町)
文明7年(1475)吉崎を退去した蓮如上人は、若狭(福井県)・但馬(兵庫県)を経て富田に至り、しばらくここにとどまった。坊舎は後に上人によって教行寺と名づけられ、上人の八男蓮芸が住持した。
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注:
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大津市南町は現在大津市札の辻
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