仏教入門 おしえて千葉先生 対談第四回
本願寺広島別院・安芸教区教務所 機関誌「見真」2007/07号
千葉乗隆 千葉山安楽寺 浄土真宗本願寺派

◎本願寺史研究の第一人者に聞く 対談第四回
  「あぁ〜不条理! これってどう考えるの?」
千葉乗隆イラスト
明田:
 人生は正しいことでも、順調にいかないことが多いですよね。人に話すと愚痴っぽいと言われて…。ほんと情けない。世の中、道理に合わない不条理ばかりですよ。
千葉先生:
 そう、人生は死ぬまで思い通りにならない不条理の連続です。親鸞聖人もその中を生き抜かれたのです。

明田:
 そうなんですか?
千葉先生:
 平安時代の貴族がみんな、生活を保障されていたわけではありません。親鸞聖人は、貴族出身ではありましたが、実家によからぬことがあって9歳で出家しなければならなかったようです。当時、この世を儚んで自ら出家する方もいました。『方丈記』を書いた鴨長明は、京都の下鴨神社の神官でしたが、小さな庵に『往生要集』を携えて出家の道を選びました。しかし、親鸞聖人は、自らが望んだのではなく、家の事情で仕方なく出家されたのです。

明田:
 親鸞聖人は、あの時代の貴族として生まれたので、優雅な安定した人生かと思いきや、没落→出家。親鸞聖人はどう思われたのですか?
千葉先生:
 やはりご自身は「なぜ、出家しないといけないのか」と、しばらくはそう思われ、失望されたでしょうね。

明田:
 辛かったでしょうね。その後の聖人は?
千葉先生:
 不安な気持ちを克服するため、比叡山で20年間もの長い辛い修行をされました。

明田:
 その修行で不条理を乗り越える「悟り」を獲られたのですか?
千葉先生:
 いいえ、比叡山で身命を削って悟りを求めて修行されましたが、悟りを感じるどころか悩みは増すばかりで、悶々と絶望の中を過ごされます。

明田:
 エッ。何の解決もないのですか?
千葉先生:
 はい。ちょうどその頃、阿弥陀さまの教えを説く法然さまは、当時、広く知れ渡っていました。その教えは革新的でしたが、最も確かなものでした。親鸞聖人は29歳の時、20年の苦労を重ねた修行を捨て法然さまの教えを受け入れるか、比叡山に止まってさらなる修行に励むのか迷いました。そこで聖徳太子ゆかりの六角堂に百日参龍し、聖徳太子からの夢のお告げを得ます。そして、また百日間、今度は法然さまのもとに通われ、絶望が一転するのです。

明田:
 どのように?
千葉先生:
 法然さまは親鸞聖人に、苦しみもがく者を見捨てることが出来ない阿弥陀さまの心は、悩み多いあなた(親鸞聖人)にこそ向かっているのだと教えられました。

明田:
 よかった。
千葉先生:
 親鸞聖人は、阿弥陀さまの心を受け入れることで、人生の方向が変わりました。不条理を感じ続けた人生の見方が変わつたのです。私の側にはいつも阿弥陀さまがおられた。もうすでに救いの中にあった身だと気付かれます。その時から、親鸞聖人は辛い悲しい不条理のなかにも、真実を確信した生涯を歩まれます。何があろうと阿弥陀さまとともに歩む人生。不条理にも正面から向き合い、仏縁と受け止め、それを受入れた先にも真実と歩む生き方があるのだと。

明田:
 不条理も仏縁か!辛さや悲しみも、そのままで終わらない生き方があるんですね!

「お話し」: 千葉 乗隆:本願寺史料研究所所長 龍谷大学名誉教授
「聞き手」: 明田 周士:安芸教区機関誌『見真』編集部
「イラスト提供」: 竹林地 俊人