(仏教研修会 第379回) 2006/2/19 浄土真宗の歴史に学ぶ

専修念仏者への批判 法然教団の人気上昇
 戒行を堅持してさとりを開こうとする聖道教から見放された人が法然上人のもとに集まる。これが比叡山や奈良興福寺など聖道教団のねたみをうけた。

比叡山の批判への対応
 元久元年(1204)比叡の衆徒は集会を開き、法然教団の念仏を停止する (やめさせる)決議をした。法然上人は比叡の非難を解くため、「七箇条の制戒(いましめ)」を書いて専修念仏者の自戒を求め、これに190人の門弟が署名した。

 その第1条は天台・真言の教えを批判しない。第2条は専修念仏以外の行をする人と議論しない。第3条は念仏門に入るよう無理にすすめな い。第4条は念仏者は罪をおかしてもかまわないといわないこと。第5 条は経典や師説によらない私の見解を述べないこと。第6条は無智の人をまどわさないこと。第7条は間違った見解を主張しないこと。

興福寺の批判(「興福寺奏状」)
 元久2年(1205)興福寺は九箇条の過失を列挙して、専修念仏の禁止を朝廷に訴えた。
 その過失の内容は「第1条は法然は天皇の許しを得ず、浄土宗を興した。第2条、摂取不捨曼茶羅という念仏者だけが浄土に救われる絵を作った。第3条、阿弥陀仏以外の仏を拝まず、弥陀の教えを説いた釈尊をも軽んじている。第4条、『法華経』を読むと地獄に落ちるとか、造寺 造像を否定する。第5条、神を礼拝しない。第6条、念仏以外の善行を拒否する。第7条、念仏には口称・心念・懸念・観念という段階があ るが、最もおこないやすい口称の念仏だけしかしない。第8条、僧に禁 じられている囲碁・双六・女犯・肉食などは、念仏者には浄土往生のさまたげにならないといっている。第9条、どの宗もみな念仏を大切にするが、専修念仏者は諸宗をきらって同座しない。」というのであった。

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以下にテキストの右ページ部分を記載します
旧仏教の法然教団弾圧
比叡山と興福寺の批判に対する朝廷の姿勢
 「法然の門弟の中には、よこしまな考えを持つ者もいて、専修に名をかりて、悪行をしても浄土に行けるという者もいる。こ れは門弟の浅はかな智慧によるもので、法然の本意ではないので、あえて処罰しない」といって比叡山や興福寺をなだめる姿勢をとっている。

 比叡山と興福寺…… このまま放っておくつもりですか!
 朝廷……………… 処罰は必要ない

法然上人の教えをうけた人びと
 朝廷……… 後白河上皇
 貴族……… 九条兼実
 武士……… 熊谷直実 大胡実秀 北条政子 など
 庶民階層… 圧倒的多数

 法然上人が北条政子のために書いた『浄土宗略抄』 に「いのるにより病もやみ、いのち延ぶることあれば、たれかは一人として病み死ぬ人あらん」 といって天台や真言宗の病気治療の祈祷を批判 している。政子は承久3年(1221)に、法然上人・親鸞聖人等を流罪にした後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒そうとしたので、上皇の軍を破り、上皇を隠岐島に配流し、京都を監視するために六波羅探題を設置した。嘉禄3年(1227)に延暦寺の僧兵が法然上人の墓をこわそうとしたときには、こ の六波羅探題の武士が僧兵を追い払った。