(仏教研修会 第337回) 2002/3/16 浄土真宗の歴史に学ぶ

『歎異抄』が語る親鸞聖人4

1.『歎異抄』の前篇 序文

〔前篇〕〔序文〕現代語訳

 ひそかに、わたしのつたない考えで、親鸞聖人がおいでになったときと、今とをくらべ ますと、このごろは、聖人からお聞きした正しい信心とは異なることが説かれていて、た いへん嘆かわしいことです。このようなことでは、聖人の教えをうけつぐ後の人びとに、 誤解をあたえるおそれがあります。

 さいわいに、まことの教えをしめしてくださるお方に出会わなければ、念仏して救われ る易行(いぎょう)の門に入ることはできません。決して、自分勝手な見解でもって、阿弥陀さまに救 っていただく他力の教えを乱すようなことがあってほなりません。

 そこで、いまは亡き親鸞聖人がお聞かせくださったお言葉の中で、今もなお、わたしの 耳の底に残って忘れられない内容を、すこしばかり書きしるすことにします。これはただ、 同じ念仏の道を歩む人びとの疑問をなくしたいからです。

〔前篇〕〔序文〕訓 読
 ひそかに愚案をめぐらして、ほぼ古今を勘ふるに、先師の口伝 の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑あることを思ふ に、幸ひに、有縁の知識によらずは、いかでか易行の一門 に入ることを得んや。まつたく、自見の覚語をもつて、他力 の宗旨を乱ることなかれ。

 よつて、故親鸞聖人の御物語の趣、耳の底に留むるところ、 いささか、これをしるす。ひとへに、同心行者の不審を散 ぜんがためなりと云々。

 親鸞の没後、指導者を失った東国の念仏者のなかに、親 鸞の教えにそむく、さまざまの異義が発生して、念仏集団 を混乱におとしいれた。この状況を唯円は大いに歎き悲し み、なんとかして事態を収拾しようと図った。

 その結果、唯円ほ、親鸞の教えの原点に立ちかえること 以外に、収拾のてだてのないことをさとった。  そこで唯円は、彼自身が直接に見聞した親鸞の発言と行 動とを思い起こしつつしるし、教えに疑問をいだく人に、 浄土真宗の正しい教えを理解してもらおうとして、『歎異 抄』を著したのであった。