(仏教研修会 第377回) 2005/12/25 浄土真宗の歴史に学ぶ

「選択集」(選択本願念仏集)と影像を授かる  法然上人門下の高弟となる
 師匠の思想を正しくうけついだ門弟は、師説をしるした著書を写すことを許され、また師匠の肖像画を授かった。親鸞聖人は入門して4年後にこれらを許された。

法然上人、著書にサイン
 親鸞聖人は元久2年(1205)4月14日に『選択集』を書写して法然上人のもとに 持参した。法然上人は筆をとって『選択本願念仏集』という本のタイトルと 「南無阿弥陀仏、往生之業(浄土に生まれる手段は)、念仏為本(念仏することが根本)」の字と、「釈綽空」という当時の親鸞聖人の名を書いた。 親鸞聖人は比叡山では範宴と称していたが、このころ綽空と改めていた。綽空は中国の道綽と師匠の源空上人(法然上人)からそれぞれ一字を借りて名乗っ たものである。

肖像画に讃文をしるす
 親鸞聖人は『選択集』に法然上人のサインをもらった4か月後、閏7月29日に、 法然上人の肖像画ができたので持参すると、法然上人は絵の上部に讃文をしるし た。まず「南無阿弥陀仏」と名号を書き、ついで「若我成仏、十方衆生、称我名号、下至十声、若不生者、不取正覚、彼仏今現在成仏、当知本誓重願不虚、衆生称念必得往生」という文をしるした。

この 讃銘の意味は「(法蔵菩薩は)もし私が仏(阿弥陀仏)になったなら、世界中の人びとが、南無阿弥陀仏と私の名をとなえると、たとえその念仏 がわずか十声であっても、その人が浄土に生まれなければ、私は仏にな らないと誓いをたてられた。その法蔵菩薩は、すでに仏になっておられるので、念仏する者は必ず浄土に生まれることができる」(『往生礼讃偈』) という内容である。

 このとき親鸞聖人は、綽空という名を善信と改めた。この名は中国の善導大師と日本の源信和尚から拝借し名乗った。後年、親鸞聖人と称するが、これもイン ドの天親菩薩と中国の曇鸞大師から拝借したとみられる。
red line
以下に右ページのテキスト部分を記載します
法然上人、肖像画にサイン
法然上人が親鸞聖人に授けた肖像画
 法然上人が親鸞聖人にあたえた肖像画は墨 染(黒色)の衣に墨染の袈裟をか け、畳の上にすわり、右手をすこ し上にして両手で数珠をつまぐり ながら念仏する姿が描かれてい る。

讃銘は、善導の『往生礼讃偈』 の文を引用したものである。『無量寿経』の第十八願の最後に、「五逆罪と正法をそしる者は、浄土に生まれることはできない」と ある言葉を善導は削除して、「念仏する者は必ず浄土に生まれることができる」とした。

母(仏)は口では「いたずらをすると、助けてあげませんよ」という。しかし、 本当は子が可愛くてしかたがな い。その母の心中を善導は明らかにした。この画像は、親鸞聖人の門弟 念信の遺跡である愛知県岡崎市の 妙源寺に所蔵されている。
法然上人が肖像画に書いた文
法然上人が親鸞聖人にあたえた肖像画の讃文

法然上人が親鸞聖人にあたえた肖像画の讃文